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「上村愛子選手にメダルを!」 

2013年12月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生

今から15年前の1998年2月、日本で二度目の冬季五輪となる長野オリンピックが開催された。

 オリンピックのスキー競技と言えば、アルペンは回転、大回転、滑降などであり、それに、ジャンプ、複合が加わるのが定番である。

 しかし、長野オリンピックで、私たちは、それまで見たことのないスキー競技に出くわした。

 スキーで急斜面を滑り降りるのだが、その斜面にはデコボコ(凹凸)の深いコブが作られている。

 選手は、単にデコボコの急斜面を滑り降りるだけでない。途中で、小スロープを利用して空中にジャンプし、大の字の格好になった後に着地したり、空中でスキーごと回転した後に着地したりする。
そして、後は、一目散にゴールに滑り降りる。

 このスキー競技は、スキーのフリースタイル競技の一つで、モーグルという。語源は、ノルウェー語のMogul(雪のコブ)からきている。

 スキーで回転することは、ターンという。空中で回転する技は、エアという。エアの中には、空中で360度水平に回転するヘリコプターという技が面白い。まさに、人間ヘリコプターである。

 そんなわけで、スキー競技のモーグルは、スキーで回転するターン技術、空中で回転するエア演技、スピードの3要素で競う競技である。採点配分は、ターンが全体の50%、エアが25%、スピードが25%となっている。

 モーグルは、単にスピードが早いだけではダメで、ターン技術とエア演技が優れたものでなければならない。

 多くの日本人は、長野オリンピックで初めてモーグルを目にし、その面白さに引き込まれた。

 そして、モーグルの女子で、里谷多英選手が金メダルを獲得した。これは、日本女子選手が冬季五輪で初めて獲得した金メダルとなった。18歳で高校3年生の上村愛子選手も初出場で7位に入賞し、日本女子モーグル選手が一気に世界のトップ選手の仲間入りを果した。
 
 日本中が歓喜し、モーグルファンになったのは、言うまでもない。

その時、18歳の上村愛子選手がいずれは金メダルを獲ってくれると、みんなが期待した。


 2010年2月14日、スポーツニッポンの配信ニュースは、「笑顔も涙が…上村愛子『何でこんなに一段一段なんだろう』 」とのタイトルつきで、次のように伝えた。

 上村愛子の4度目の挑戦は4位で終わった。「全力で走りたいっていう気持ちを果たせた。滑り終えた後は、1番の数字が出てほしかったけど、(前の滑走者の)シャノンがそれ以上の走りをしたんだなと思って、よかったねと声を掛けた」。

 4大会連続で出場し着実に階段を上がってきた。98年長野が7位、02年ソルトレークシティーが6位、06年トリノが5位。順位を1つずつ上げてきた。しかし、悲願のメダルまであと一歩。

長野オリンピック出場時には18歳で高校3年生の上村愛子選手は、2010年2月のバンクーバーオリンピック時には、30歳になっている。12年の歳月が過ぎ去っていった。

 この間、フリースタイルスキー世界選手権では、金メダル2個、銅メダル2個を獲得し、世界を転戦するワールドカップでは、 総合成績で、2001-02シーズンは銀メダル、2007-08シーズンは金メダルに輝いている。

 これだけの押しも押されもせぬ実績からして、日本国中の誰もが、初出場で7位入賞の長野オリンピック後の3大会でのメダル獲得を期待した。
 誰よりも、上村愛子選手自身がメダル獲得を確信していたはずだ。

 しかし、98年長野が7位、02年ソルトレークシティーが6位、06年トリノが5位と、順位を1つずつ上げてきて、10年バンクーバーが4位。

 スポーツニッポンの配信ニュースは、続ける。

 「私は何でこんなに一段一段なんだろう」とあふれ出る涙をぬぐいながら、「自分が全力を出すことが難関だったので、クリアできたことはよかった。(ラハテラコーチに)“カービングターンを追求してやってきたということをすごく、誇りに思う”って言われたんで、それがうれしかったです」と振り返った。

 「何でこんなに一段一段なんだろう」。と誰しもが思った。そして、上村選手の胸中を察するなんていう間接的なことではなしに、日本中のみんなが全く同じ思いで、上村選手と共に涙した。

 上村選手がこれほどまでに精進し、4度もオリンピックに挑戦し続けているのに、神様は、なぜ4位で終わらせるのだろう。

 上村選手は、悲願のメダルまであと一歩の4位で終わったのに、銅メダルを獲得したシャノン・バーキー選手に祝福の声を掛けているのだ。

 上村選手は、「滑り終えた後は、1番の数字が出てほしかったけど、(前の滑走者の)シャノンがそれ以上の走りをしたんだなと思って、よかったねと声を掛けた」と語っている。

 この場面を私たちはテレビ画面で観ている。上村選手は、笑顔でシャノン・バーキー選手に祝福の声を掛けているのだ。そこには、心底好敵手を称える上村選手の愛らしい笑顔がある。

 そして、インタビューを受けた時、上村選手は、「私は何でこんなに一段一段なんだろう」と語り始め、あふれ出る涙をぬぐうのだ。

 こんなのを観せられると、たまらなく切なくなる。実況中継のテレビ画面を観ているシニアは、みんなが、男は上村選手のお父さん、女はお母さんになりきって、上村選手を称え、一緒に涙した。


 年が明ければ、2014年2月に、ロシアのソチで第22回冬季オリンピックが開催される。上村愛子選手にとっては、五度目のオリンピックだ。

 三度目の正直という言葉がある。勝負で、一度や二度は当てにならないが、三度目は確実であるということ。転じて、物事は三度目には期待どおりの結果になるということである。

 しかし、上村選手には、三度目の正直はなかった。あと一歩で、四度目の正直もなかった。

 でも、きっと五度目の正直が上村選手にはソチ五輪である。
 
 根拠はあるのか? ある。それは、先日、私たちは、四度目の正直があることを目の当たりにしたからだ。
 四度目の正直があるから、五度目の正直はある。

 11月3日の文化の日、日本シリーズ第7戦が東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地・Kスタ宮城で行われた。

 東日本大震災の発生から2年半以上が経過し、被災地をはじめとする東北各県民は、こぞって東北楽天ゴールデンイーグルスの日本一を渇望している。東日本大震災からの復興に弾みをつけるためにも、楽天の日本一がほしい。

 また、楽天の星野監督は、中日で2回、阪神で1回のセリーグ優勝を果しているものの、日本シリーズでは敗れ、日本一になった経験がない。だから、なんとしても星野監督を日本一にならせてあげたい。

 結果は、楽天が3-0で巨人を下し、通算成績4勝3敗で初の日本一に輝いた。楽天にとっては、球団創設9年目にして初、星野監督にとっては、初めての日本一だ。星野監督の日本一は、四度目の正直である。

 上村愛子選手は、長野県の白馬村育ちだが、東北とは深い縁がある。

 上村選手は、これまで、フリースタイルスキー世界選手権でのメダルは、2個の銅メダルのほか、2個の金メダルを獲得しているが、その大会は、2009年3月に福島県猪苗代町で開催された。そこで、モーグルとデュアルモーグルの2種目で優勝したのだ。

 東北は、東北楽天ゴールデンイーグルスの初の日本一、星野監督には四度目の正直の日本一でこの上なく勇気づけられた。大変にありがたいことだ。

 今度は、東北各県民は、日本中の人々と一緒になって、上村選手の五度目の正直を後押しする。

 東北各県民が日本中の人々と一緒になって、東北楽天ゴールデンイーグルスを後押ししたことによって、神がかり的に、楽天の初の日本一、星野監督には四度目の正直の日本一が実現した。

 今度は、上村愛子選手の番だ。星野監督の四度目の正直があるから、きっと上村選手の五度目の正直はある。東北とは深い縁をお持ちの星野監督と上村選手だもの。

 上村愛子選手にメダルを獲らせてあげたい。

 上村愛子選手の嬉し涙の笑顔が観たい。

 日本中のみなさん、応援よろしくお願いします!



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長年の頑張りには感服です

さん

上村愛子ちゃんが出てきた時から、もう長い年月が経ちましたが、今も続けておられて本当に感心します。あの笑顔には励まされます。

このたび以下の余計なことを思い出してしまいました。
モーグルが競技になる前に、私ごときもスキー場のこぶ斜面攻略なんて本まで読み、スキーに熱中しておりました。

2013/12/02 22:37:25

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