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平成の虚無僧一路の日記

二極対立の狭間で 

2010年09月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「“端”を渡っていけないなら真ん中を渡ればいい」
「橋を端にひっかけた笑い話」と思いきや、もっと深い
意味があった。

一休の父は北朝の後小松天皇、母は楠木の血筋を引く者。
一休は北朝と南朝、双方から天皇に担ぎ上げられる立場
だった。そこで一休は、そのどちらにも与しない生き方。
地位も肩書きも求めない一托鉢僧として生き、600年を
経た今日、世界にまでその名を知られる人気者となった。

一休が好む普化の偈(げ)「明頭来明頭打・暗頭来暗頭打」
には「明にも暗にも偏しない心」の意味がある。それこそ
虚無僧の生き方なのだ。

ところで、相対立する価値観の狭間に立たされることは
人生のさまざまな場面で直面する。
国と国の戦争、宗教対立、政党・派閥間の争い、嫁姑の
板ばさみ。その時、どちらにも偏しない中立を保てるのか。
言うは易く行うは難しだ。

このところ無事平穏の生活が続いてきたが。10月11日の
能楽堂公演に向けて、メンバーの間で価値観の違いが顕わに
なってきた。
能楽堂にふさわしく、芸術的格調高い演奏にしたいと真剣に
取り組む人。一方「自分たちが楽しくやれればいい」という
考えの人は、村祭りでの大衆芸能といった“おちゃらけ”た
演目だ。とても恥ずかしくて見せられない。

相対する価値観の狭間でどう調整を図っていくのか、難しい
舵取りを迫られている。
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