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Jii−Jiiの日記

念仏者とは 一切衆生を 「御同朋」として 見出していく存在 

2013年12月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

念仏者とは 一切衆生を 「御同朋」として 見出していく存在        出典:宮城 ?『本願に生きる(解説)「世の中が混沌としている。 自分も混沌としている。 いつでもそんな感慨に陥る。 十代の自分においても、 三十代の自分においても、 そして思いも及ばなかった歳月を経た六十代の自分においても、 世の中が混沌としている。  自分が混沌としている。 なぜ世の中を混沌とさせ、なぜ自分が何者かわからないのか。 そういう状況を解き開く鍵はないのだろうか。 実に、抽象的観念的な問い。 それでも私においては、こういう問いに悩まされ続けて六十年の月日が過ぎていった。否、むしろ、この問いが自分の人生の全体であったかもしれない。 この茫漠とした問いが解き開かれないと、先ずは自分が自分の人生に納得できない。 人は言うかもしれない。 そんな問いはこの格差社会で精いっぱい生きている生活者の現実から遠く、贅沢な問いだと。 しかし生まれて老いて死んでいく中で、なぜ世の中は混沌としているのか。 なぜ自分が何者なのかと問うことは何の意味もないことなのだろうか。」「法語」の平成25年のカレンダーの最後の月となりました。 ボクは1年間を通して月初に親鸞聖人の教えを教えられてきたと思っています。 結局は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、心を静めて、自分自身を見つめ直すことによって、明日への「改善の一歩」を見つけ出すのかもしれない と思い当たった。...

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