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「上原浩治投手の功績」 

2013年11月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生

 上原浩治投手がまたしてもやってくれた。さすが、浪速のど根性男だ。

 
去る10月30日、レッドソックスは、本拠地ボストンでカージナルスを6-1で破った。対戦成績を4勝2敗とし、6年ぶり8度目のワールドシリーズ優勝を決めた。
 レッドソックスが本拠地ボストンのフェンウェイ・パークでワールドシリーズを制覇するのは、1918年以来、実に95年ぶりであり、前年地区最下位からの世界一は史上2チーム目の快挙である。
 1918年の地元での世界一決定時は、あの伝説の英雄ベーブ・ルースがレッドソックスで活躍しているときで、ベーブ・ルースは、翌1919年限りでニューヨーク・ヤンキースに移籍している。

 地元ボストン市民にしてみれば、前年地区最下位のレッドソックスが6年ぶりにワールドシリーズ優勝を決め、しかも、英雄ベーブ・ルースが在籍していた1918年以来、95年ぶりにボストンで優勝してくれたのだから、最高である。

 この試合、6-1で9回表が始まる。「コージ!」「コージ!」「コージ!」の大歓声の中、上原浩治投手が登場した。いつもの「投げ急ぎ」のテンポで打者3人を5分でアウトにし、優勝決定。

 地区優勝、地区シリーズ、リーグ優勝決定シリーズに続く4度目の「胴上げ投手」だ。それも、すべて三振で締めるところが今シーズンの上原投手を象徴している。

 ポストシーズンの上原投手の成績は、13試合で1勝1敗7セーブ、防御率0・66。レッドソックスのワールドシリーズ制覇は、上原投手の大立役者の活躍がなければ、あり得なかった。

 セレモニーで壇上に呼ばれた上原投手は、「前回(リーグ優勝時)は吐きそうだったけど、今回は泣きそう。今も夢の中のよう」と語り、地元観衆からの大歓声を浴びた。

 
 上原投手の日本とアメリカでの活躍を振り返ると、彼は、エリート中のエリートとの印象を受ける。

 上原投手が日本でプロデビューした1999年の活躍は、凄まじいものだった。
 20勝4敗の好成績を残し、両リーグを通じて1990年の斎藤雅樹投手以来9年ぶり、新人投手としては1980年の木田勇投手以来19年ぶりの20勝投手となった。
 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を独占し、史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成した。
 同時に、新人王と沢村賞も受賞した。

 その後は、2009年からのアメリカ大リーグ移籍まで、先発、抑えで巨人軍のエ−スとして活躍し、10年間で112勝62敗33セーブの成績を挙げている。

 大リーグでは、初めは先発投手を務めたが、度重なる怪我に悩まされたことから、体幹を鍛えて克服し、その後は、中継ぎ、抑えを務めている。

 と、こうして見てくると、怪我に悩まされたことがあるものの、どう見ても、エリート中のエリートの歩みだ。

 しかし、上原投手についての記事を見ると、「雑草魂」というフレーズを目にする。なぜ、なにが雑草なの?

 実は、上原投手は、高校卒業後、大阪体育大学を受験したが、合格できなかった。
 大阪体育大学に進もうとしたのは、大学卒業後、高校で体育の教師になるのが夢だったという。
上原投手は、高校時代は無名の投手だったものの、身体能力には当然自信があり、大体大受験に失敗するとは夢にも思わなかった。

 しかし、落ちた。さて、どうするか。

 上原投手は、浪人して大体大を再受験することに決めた。
 予備校の学費や生活費は、親には迷惑をかけられないとの思いから、道路工事のアルバイトという肉体労働を1年間やり通して、稼いだ。
 大体大の再受験は、合格した。
 上原投手は、後に、この19歳当時を振り返り、あれほど辛い肉体仕事をしたことは、あれっきりないと語っているという。
 
 そうした上原投手に、野球の神様は、ご褒美を下さった。それは、1年間の肉体労働が上原投手の体幹を鍛えて身体能力をアップさせ、結果して、球速が格段にアップしたのだ。
 おそらく、135km/hくらいだった球速が150km/hにも増したのだろう。

 人生、何が幸いするか分からないものである。

 上原投手は、巨人でも大リーグ移籍後も背番号が19であり、背番号19にこだわりを見せている。
19歳の浪人時代の辛い肉体労働、そしてそれが自分の今日の土台を作ってくれたことを決して忘れられないのだ。背番号の19は、19歳の19である。

 これで、なぜ上原投手が「自分は雑草だから、雑草魂で頑張る」と語ってきたかがよく分かった。

 
 上原投手は、大阪体育大学卒業後は高校で体育の教師になるのが夢で、同大学に進学した。高校で体育の先生になっていれば、きっといい先生になっていただろう。

 しかし、大学卒業後は、巨人、大リーグ各球団で大投手として活躍し、一見教育とは無縁のように見える。それは、エリートそのものの姿だ。

 そのエリート人生のすべては、大体大受験失敗、19歳の浪人時代の辛い肉体労働、身体能力アップ、球速アップ、大体大再受験合格という1年間の努力に始まっている。そして、エリートそのものの彼が「自分は雑草だから、雑草魂で頑張る」と言い続けて頑張っている姿、人生。

 それを見ている世の中の老若男女、とりわけ若者たちにいかに元気と勇気を与えてくれることか。
 上原投手を見ていると、日本人もアメリカ人も、いや、世界中の野球好きが頑張ろうと思う。

 そんな上原投手は、素晴らしき野球人であるだけでなく、立派な教育者である。




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