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上海大学シニア留学日記

お婆ちゃんの追憶 

2013年10月27日 外部ブログ記事
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98歳の生涯を閉じたお婆ちゃん。


お婆ちゃんは宮城県の東松島市の農家の
10人兄弟の長女として生まれた。

東京の看護学校に入り、看護婦をしていた時に、
結核で入院していた義父の両親に見染められ、
是非うちの息子の嫁に来てくれと懇願されたと言う。

義父の父親は栃木の資産家で東横線沿線の
現在私が住むところに家を買ってくれたと聞く。

義父はサラリーマンをしていたが、画家になる夢を
捨て切れず、義父の父親が亡くなると同時に、サラリーマン
を辞めて、画家の道を志す。

当初、絵ではなかなか収入を得ることは難しく、
義母が洋裁で生計をたてたと言う。

今から20年ほど前、義父が亡くなって義母が一人に
なった時に、前の家を取り壊し、私が家を建てさせて
貰い、義母は1階に、私達家族4人は2階に住むように
なった。

義母は90歳過ぎまで、職業として洋裁の仕事を
続けていた。
月曜日から金曜日までは朝の9時から夕方5時まで
決まって仕事場でミシンを踏んだりしていた。

ずっと肺がんを患ってはいたが、何分にも高齢だったので
進行も遅いという判断で特に手当はして来なかった。

亡くなる1週間前に呼吸が苦しくなり、救急車で入院
した。
最後の3日間は意識が無くなったが、それまでは病院でも
自分でトイレへ行っていた。

同居したこの20年ほどの間、食事もお風呂も別々。
何でも一人でこなしてきた。
それは同居する時、お婆ちゃんから提案して来たことだ。

最後の1か月は、さすがに家内が2階で作った料理を
運んだが、振り返ってみればほとんど我々には手が
かからなかった。

お婆ちゃんは、献身的な内助の功で夫を一流の画家
に導き夫の資産を守り抜いた芯の強い大正生まれの
女性であった。

天晴れな女性だった。

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