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たかが一人、されど一人

馬鹿でも貧乏でも結構、ほっといてくれ 

2013年10月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

友人のブログで面白いデータの紹介があった。アメリカのある漫画家集団サイトからの引用で「各国が何で世界をリードするか」とある。http://thedoghousediaries.com/large/5414.png 根拠データはこちらhttp://thedoghousediaries.com/maplesyrup英語なので分かり難いが、日本はロボットで世界をリードするとなっている。因みにアメリカは「ノーベル賞受賞者数と芝刈り機による事故死」ロシアは「ラズベリーと核弾頭」インドが「映画」なんだそうだ。データを見ると日本は工場労働者に対するロボット件数が現時点でも世界でダントツ1位になっているらしい。工場の自動化率が世界で最も進んでいるようだ。別に工場に限らず、現在日本で自動化されているもの様相を、子供の頃を比較して思い出すとまるで夢のようである。小学生の頃アラビアンナイトの絵本を見ながら、シンドバッドが「開けゴマ」の呪文を唱えると扉が開くなんて魔法以外には想像できなかった。今や呪文さえも要らず、扉の前に立っていれば扉は自動的に開くもののようだ。外国人が日本でタクシーから降りる際、扉に手を掛けようとして道路に転がり落ちたといった笑話はもう聞かないし、外国の現状はよく知らない。でもアメリカ人が日本の特徴として特筆大書してくれるほどだから、日本は自動化先進国なんだろう。生産工程の自動化が日本の産業に大いに貢献して経済成長を支えてきた、或いは支えているに違いあるまい。しかしこれで喜んだばかりいていいものだろうか?ややへそ曲がりではあるが、そろそろこの考え方は見直す時期に来ているのではと思っている。そんなに古くない昔のことだが、日本の時計産業について読んだ記事で印象に残っていることがある。日本はセイコー、シチズン、カシオあたりが筆頭かどうか知らぬが、数社のメーカーで世界の時計市場の圧倒的なシェアーを有する時計輸出大国らしい。一方昔から時計と言えばスイスとされているようにスイスには日本の桁違いの百社単位の時計メーカーがあるそうだ。それぞれ細々と食いつないでいるだろうと思いきやである。生産数量では日本に遥かに及ばない時計の輸出を金額で見ると、記憶が曖昧だが倍以上引き離していたように思う。大量生産による規格品は単価が安くなるのは理の当然。世界で産業部門別に見れば圧倒的なシェアーを占める日本製品はさぞ多いことだろう。しかし何でも安くて大量生産することだけが脳でも無い筈だ。現政権における経済政策や労働政策から教育政策まで含め、馬鹿の一つ覚えの如くこの方向に突き進んでいるように思えてならない。そもそも国家が、国民の教育程度を均一的に引き上げるなんてことを考えること自体間違っている。昔から思っていることだが、東大の1次試験と慶応義塾の1次試験が同じなんてことは信じられない。共通1次試験が導入される前に、慶応に滑り込めたから言うのではない。東大に行く人は東大への、北大に行きたい人には北大へのそれぞれ異なる思いもあり、迎える側も異なる思いがあれば、最初から試験内容に差があるべきだ。個性を尊重してくれなんて別に言いたくもないが、人間の規格が国家に決められたのではたまらない。農家にしても同じこと、全部の農家が輸入米に拮抗しうる低価格米を作りたいか。馬鹿みたい話ではないか。「貧乏でも馬鹿でも結構だからほっといてくれ。」と思う人は多いだろう。

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