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たかが一人、されど一人

続・出陣学徒慰霊碑(記憶と記録) 

2013年10月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

くどくなって恐縮だが、昨日の続きを書きたい。70年前の日本人と現代の日本人にどれほどの差があるだろうか。少なくとも基本的な感情に大差のあろう筈はないし、教養の程度が現在の方が優っているとは断定しにくい。日本に限らずとも古今東西殺人を好んでする人間は少ないだろう。しかし先日、人間とは同種で殺し合いをする珍しい動物であることを聞いたと書いたが、残念ながら人類の歴史に戦争が絶えないのも事実である。日本がここ70年近く戦争することなく来ていることが珍しいこととされている程ではないか。当然ながらこの事実は大事に守り続けてもらいたい。非戦で来ることが出来た背景には外的要因が幸いしたこともあり、その要因が年々変化していることは認めねばならぬだろう。しかし、ここ1年や2年で急に外的要因が変化したなんてことはあり得ない。にも拘らず現政府は安全保障環境の変化をしきりに言いたがる。それを言うならむしろ1989年〜1991年旧ソ連邦の崩壊時に世界に何が起きつつあるか、これから何が起きるかを真剣に検討すべきであったと思う。因みに1989年11月のベルリンの壁崩壊のニュースを受け、アメリカでは政府は勿論、多くの政治家がソ連方面に出掛け、今後地政学的にどんな影響が出るか熱心に研究したらしい。ある人が言うには、日本の政治家で当時そのような感覚を持って動いていた人間は皆無だったそうだ。冷戦構造の崩壊といった大変なパラダイムシフトの時に安閑としている程度の政治感覚しか持ち合わせないのが日本の政治家実態だろう。皮肉に見れば、故に平和を維持できているとも言える。特に現内閣は国内に問題が山積されているにも拘らず、国防について異常なまでに熱心に取り組もうとしている。国防について疎かにしていいとまでは言いたくないが、国防を考え得るならもう少し歴史を勉強してもらいたい。70年、80年前の日本人の国防意識は少なくとも現在の比ではなかろう。極端なことを言えば、当時は国防が常に政治の1丁目1番地にあり、政界には申し訳ないが現在の政府関係者以上に優秀な方が犇めいていたと思う。にも拘らず、実際に何が起こったか。ここが問題で、その事をよくよく調べて研究してもらいたい。昨日書いた学徒動員に関することもその一つである。調べようにも記録が無くて調べられない筈である。分かることはただ一つ、戦争では兵士は消耗品であり、徴用する側からすれば学生であろうと丁稚小僧であろうと一緒で、員数を合わすことだけに過ぎぬことだ。出陣学徒の記録が無くて5万人とから10万人とされる所以である。今後に於いても戦争ではごく当たり前だ。自分たちの子供がその員数1員なることを想像してもらいたい。もっと基本的なことは戦争は大国が惹起するものであることだ。日本も大国を意識して韓半島に乗り出した。結果は少し年輩であれば誰でも知っているが、非常に惨めな敗戦となった。従ってその後約半世紀ほどの間、日本人は戦争に対して非常にネガティブな思いを共有していたと思う。しかし、実態から遠ざかると想像は難しい。小生でも負け戦の惨めさを身に沁みているとはとても思えない。最近になってやっと、一世代前日本のどこに問題の本質があったかを知りたいと思いはじめたくらいのものだ。経済大国・強い軍事力・強い国同士の同盟、現代日本は父母の世代に様相が非常に似ているところもありそうだ。敗戦の惨めさを知らない世代が、今後どういう結果をもたらすか分からないが、後世のため少なくとも肝心なことはきちんと記録を残してもらいたい。東条内閣が学徒出陣にあたって詳細の記録を残さなかったような真似だけはしてほしくない。情報メディアが発達している割に現在でも我が国は情報管理が杜撰で、重要な事案が記録として残されないらしい。歴史に学ぶことも大切だが、歴史を刻む責任も重い。政治家諸氏には肝に銘じてほしい。

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