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平成の虚無僧一路の日記

西郷四郎の実母は誰? 

2013年09月21日 外部ブログ記事
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「池月 映」氏から、またまた貴重なご意見をいただきました。


『会津会会報』第114号(平成20年)所収、「小池明」氏の
「西郷頼母・きみと依田勉三」に、「西郷頼母と20年連れ添った
「伊与田きみ」さんは、明治23年、「頼母」と離別した。
明治19年に横浜で二人並んで写真を撮ってから4年後。
「きみ」44歳。「頼母」が 霊山の神主になった年。ちょうど
訪ねてきた養子の「四郎」が別れた理由を問いただしたが、
「頼母」は黙して語らなかったと。

それについて、

「三留」という姓は藩士の中にはなく、四郎の故郷「津川町」の
電話帳に14軒ある。
これはあくまでも仮説ですが、四郎の実の母は「三留やす」では
なかったか。頼母が霊山の宮司になった時、頼母は「きみ」と離婚して
「三留やす」と再婚した。そこに、四郎が訪ねてきて、霊山で
50日間滞在して暮らした。

「三留やす」が 四郎の実母であればつじつまがあう。


津川の「西郷四郎資料館」に「頼母」が一人で立っている写真がある。
これは東照宮の『大日光』という会報に「小森家から提供された」と
ある。どういうわけかこの写真は「西郷頼母研究家」の間でも
知られていない。

頼母は日光で7年間、「晃山叢書」という歴史編纂事業をやって
学者の功績を残したことも明らかになった。頼母は学者であって、
武術の達人ではないでしょう。

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