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平成の虚無僧一路の日記

「なよたけの」句の解説 

2013年09月21日 外部ブログ記事
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西郷頼母の妻「千重子」の辞世

「なよたけの 風にまかする身ながらも、
  たわまぬ節のありとこそ聞け」

は、会津人なら誰でも知っている句ですが、
これについて、堀田節夫氏が『西郷頼母』の中で
詳細に解説しています。

「なよ竹」なる語は『万葉集』に出てくる枕詞。

柿本人麻呂が吉備津采女の死を悲しんで詠んだ歌。

現代語訳をカンタンに書きますと

「なよなよとした竹のような妹は、なにを思ってか
露のように儚(はかな)く、霧のように失せてしまった。
その知らせを聞いた自分でも悔しいのに、手枕かわし、
身に添えて寝たであろう夫たる人は、さびしく思って
寝ていることだろう、悔しく思って恋しがっている
ことであろう」

という内容。

「千重子」は、この『万葉集』の柿本人麻呂の歌を
知っていて、その「反歌」として上記の歌を詠んだ
のです。教養の高さに唖然とします。

「なよたけ」の句は、「なよなよと風に揺らぐ竹の
ような女の身ですが、竹にも たわまぬ節があるのです」と、
武士の妻の貞節を詠んだ歌とされます。

しかし「疾風に翻弄されるわが夫にも 武士(ふし)の
意地があろう」という意味も込められているのでは、
とみるのは うがった見方でしょうか。

頼母は、「なよたけ」の句に寄せて、次の歌を詠んでいました。

「疾(と)き風に たわまず折れし なよ竹の
  この石ふみに よるよしもかな」  

頼母にとっては、“妻は 風にたわまず 折れてしまった”
のでした。その妻の墓石に「寄るすべもない」と、頼母の
悲痛な嘆きが聞こえてくるのです。

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