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平成の虚無僧一路の日記

インド音楽を尺八で 

2013年08月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



アメリカ人の尺八家「 T.M.Hoffman 」が 今夏もまた
名古屋にみえた。17.18 の2日間、東京○○大学での
講師を勤めるため。

ホッフマンは、インド音楽を 筝と尺八で演奏する。
インドと日本楽器の融和を通して、インド人と日本人の
考え方の相違を論じて、慶応の国際コミュニケーション
学科の講師である。

「楽器をコップに例えると、中に入っているものが音楽。
日本人は、このコップには水しか入らないと思っている」
と。

なるほど、日本では、レストランなどで、水、ジュース、
ミルク、コーヒー、紅茶、緑茶を注文すれば、それぞれ
みな入れ物が違う。

「インド人は、一つのコップに、何でも入れて飲む。
ただし、コーヒーに牛乳は合うが、牛乳とオレンジ
ジュースは合わない。合うものと合わないものを
見分ける目と耳を持っている。

「尺八や筝は、あらゆる音を出すことが可能で、
インド音楽を演奏するのに最もふさわしい。インド人は
そのことをすぐ理解してくれる」。
ところが、「日本人は、インド音楽を学びたい。
シタールを習いたいと私のところに来る。『シタールより
箏の方が学びやすい。箏で教えよう』というと、
イヤだと拒否する」。

「インド人はできなくても“できる、できる”と言う。
『尺八?いいね、貸してみろ、(自分は)吹ける、吹ける』
と、まず吹いてみようとする。日本の尺八家は、吹いても
みないで、『インド音楽?、だめだめ、吹けない』と
拒絶する」。

「インド人と日本人は“火”と“氷”。全く考え方が
違う」とホッフマンは言う。

日本人は、時間は定規のように引かれていて、その上に
きっちり計画を立てて、予定通りに動こうとする。
インド人は「予定なんか立てたって、列車やバスが来な
かったらどうする?。コンサートだって、マイクがない、
途中で停電になった。さぁどうする。時間は常に“今”
しかない。“命”あるこの瞬間をどう生きるか。停電に
なった。さぁどうする。その瞬間瞬間のその人の生き方が
見られている」と、

その“火”と“氷”のインド人と日本人の間をとりもつのが
ホッフマンの役目。国際コミュニケーション学科とは、双方
の考え方の違いを顕わにして、その上でどう理解しあえるか
考える学科なのだそうな。尺八でインド音楽、そしてコミュニ
ケーション学科の慶応大学の講師。おそれいりました。

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