メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

自然はともだち ひともすき

桜幻想 

2010年03月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 聞くだけでなにかときめく桜前線、これからの2カ月余り春風に乗って日本中を駆け巡ることでしょう。

 日本武尊が東征の際に植樹されたといわれる樹齢2千年!!の「神代桜」。
 御母衣ダムの湖底に沈む命を奇跡的な移植工事でよみがえらせた「荘川桜」。
 春になると毎年水没地の村人が集まって、語りあいながら湖底に沈んだかっての村を偲ぶそうです。
 「薄墨桜」は千年生きてなお毎年美しく静かに花を咲かせ、見る人に明日への活力と深い思考を与えてくれています。

 桜って、凄いなぁ…
 老いてなお春を待って凛々しく開花する姿。
 そして、短いがゆえに散り際のその潔さ。
 一瞬の艶やかな光景は、その根元深くに死者を植え込んだかと作家に語らせるほど不思議な妖しさを持っていますが、
 私だって…それに劣らぬほど酔わされてしまいます。(*v.v)。



 (私が)生まれた高田の町、そこには夜桜で全国でも有名な公園があってね、と仕事の手を止めて語るときの母は、その時ばかりはやさしく穏やかに女性を感じさせるのでした。きっと父との思い出などを身近に見て感じていたのでしょう。
 お墓を東京へ移すまでの50年父が眠っていた八か山の桜、生前毎年お花見を楽しんだという磯部の桜、小金井の桜、境の桜、それぞれに遠い記憶のかなたから、さらにその向こうの見知らぬ世界から、何か懐かしく呼びかけてくるものがあるのです…

 子どものころといったら、ただただ花よりダンゴでした。
 とはいっても、当時の食事情はそのダンゴさえまぼろしのごとく花よりもなおはかなくて、桜ははるか遠くにかすんだただの背景にすぎません。
 10代おとめのころは、花よりファッション。
 とはいっても布地など規制されてどこへ行っても見当たらず、父の着物を苦心してリフォームするオリジナル制作に没頭し、やはり桜はうっすらと背景のままにありました。
 20代むすめのころは、花より男子。
 記憶の中では、イケメンたちに囲まれた自分が花です。Oh! 
 もちろんそれは幻影で、ほんものの花のイメージが少しずつ定着し始めたころなのに
 しかし30代オカミサンになると、残念なことに花よりもお弁当づくりに気を取られ
 特大のおにぎりが最高のリクエストではあっても、家族の健康と胃袋を満たすためそれなりに奮闘して、
 いつかそれだけでは物足りない焦りから、
 満開の桜は努力と達成感とあこがれと平和の象徴にと育ってゆきました。

 年月を経て40、50代ともなれば、花の風景には現実と夢が象徴と象形が入り混じり
 ただいまは郷愁の中に後悔やら諦観やら「?」に死生観まで加味されてもはや混沌となり、

  ─── いったいどう表現すれば適切なのか言葉を知りません。


   去年の松川 

(行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず。 あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ桜の花?にぞ似たりける) 


]]>

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ