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平成の虚無僧一路の日記

山本覚馬「管見」の卓見性 

2013年08月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「山本覚馬」が 薩摩藩邸に捕えられていた時、新しい世の
仕組みづくりについて口述筆記させた『管見』が、
『八重の桜』で初めて、世に知られるようになり、
注目されている。

その「原物」は存在しないとされていたのが、ネットに
全文公開されていました。かなりの長文で、覚馬が
どうやって、西欧の議会制度や軍制など知りえたのか、
疑問でしたが、その下地は、福沢諭吉の『西洋事情』
とのこと。福沢諭吉は、幕末に欧米を視察して、その
政治経済の仕組みや文化を紹介はしましたが、明治に
なって政治には積極的に参加しようとはしなかった。

山本覚馬は、福沢諭吉の『西洋事情』を幕末に読んで
いて、「こうあるべき」と、意見書として、薩摩に
提出した。当時もう失明していたのに、全文をほぼ
記憶していたことには驚かされます。

薩摩は戦争には強かったが、政治には弱かったので、
山本覚馬の知識と知恵を利用した。

「管見」は「政権」「議事院」「学校」 「変制」
「撰吏」「国体」「建国術」「製鉄法」「貨幣」
「衣食」「女学」「平均法」「醸造法」 「条約」
「軍艦国律」「港制」「救民」「髪制」「変仏法」
「商律」「時法」「暦法」「官医」と23項目に
およんでいます。

その中で「女子にも学問を」というのは 福沢諭吉も
誰も説かなかったことです。

また「変佛法」というのが びっくりです。
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我日本ハ 六拾余州の小國にて 寺院四十五万軒あり。
其の大なる者は、住僧 数百人、小なる者も二三人を
下らず。

法を弁(わきま)へ、戒を守る者 千人の内一人、
悪行せざる者 百人に一人。わずか有るのみ。
余は皆肉食をなし、婦女を蓄へ、物欲は俗人よりも肆。
又は甚(はなはだしき)ものは寡妻を奪ふにいたる。

古の僧は愚民を教諭し、善に導きしが、今は徒(いたずら)に
仏像を擁して墳墓を守るのみにて、世に益なきは推(おし)て
知るべし。寺に多分入禄を与ふるあって、衣食足る故に
業を守らさるに至る。之を廃する方 可なるべし。

或は貨幣の融通をなし、俗に云ふ金貸の如し、法に戻る事甚し。
故に自今以後、分限を正し、行末業の成否を察し、官許を受けて後
僧となすべし。依て従来の僧は、悪弊を除き、まず語学算術
手跡等を始めとして、惣て実学をなさしめ、寺を小学校に當て、
市町村里の商人には英仏の語、算術。農人には農業等又は
人に益ある事を教へしむべし。且法戒を巖にし、僧に堪兼るもの、
又は法に背くものあるとも是を罪せす。職人となし業を授くべし。
さすれば凡百万人と見ても、一人拾金の職をなせは千万金の益を得べし。
且帰俗のものあらは、其空寺を学校とし農商に学術を授けて
両全経國の一助となるべし。

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明治4年の「廃仏毀釈」は、まさに「山本覚馬」のこの進言に
よるものだった!?。仏教徒がいかに悪行の極みと見られて
いたか。それは、信長・豊臣の時代にルイス・フロイスも
言っています。「この国で最も悪いのは仏教の僧侶」だと。

さて、「戒を守る者千人に一人、悪行せざる者 百人に一人」。
まさに虚無僧の実態は「悪人」で、それで「普化宗」は廃止
されたのでした。

そして、寺を学校にし、僧侶は官許(国家資格)とし、
英語、フランス語、算術などを教える教師として雇えばいいと、
慶応4年に言っていることに驚かされます。

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