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平成の虚無僧一路の日記

「山椒太夫」はいつの時代の話? 

2013年07月28日 外部ブログ記事
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教科書の「アラさがし」ばかりしていた私。

森鴎外の『山椒太夫』が、中学だったか高校の国語の
教科書に載っていました。『安寿と厨子王』の話です。

「岩城の判官・平正氏」の妻とその娘「安寿」と
息子「厨子王」とあり、その住まいは「岩代国・
信夫郡」と書かれています。

ここで 知識をひけらかしたくなる私。

「先生!おかしいです。岩城とか岩代という国名は
江戸時代以前にはありません。すべて陸奥の国の
はずです」と、先生を困らせたものです。

戊辰戦争が終結した明治元年(1868)12月7日
(西暦1869年1月19日)に、陸奥国から「岩代国、
磐城国、陸前国、陸中国」の4国が分立したのです。

つまり、福島県の東半分が「岩城(いわき)の国」。
西半分が「石代(いわしろ)の国」となります。

「岩代」も「岩城」も「いわしろ」と読めるので
紛らわしいのです。

しかし、これも明治4年までのこと。すぐ「県」に
なります。

森鴎外は、そこまでは知らなかったのでしょうか。
福島県の東「岩城」の国名を冠した「磐木判官」、
その住まいは「岩代国信夫郡」(現福島市)と、
職名と住まいで“国”が違うのです。

さて、これで悦に入っていた私ですが、ネットで
見つけました。

森鴎外は『歴史其儘(そのまま)と歴史離れ』と題した
論文で、歴史小説で史実にとらわれ過ぎたことを顧み、
「歴史離れがしたさ」にこの作品を書いた、と述べて
いるそうです。

鴎外の『山椒太夫』は、中世の「説教節」の伝説に
題材を取りながらも、もとの伝説からかなり「離れ」た
ものとなったのだそうです。

なるほど、宮崎駿の『もののけ姫』の感覚で読むべき
ですな。

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