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平成の虚無僧一路の日記

名古屋と会津 

2013年07月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ブログを分析してくれるサイトがあり、「一番
読まれているのは【西郷頼母】」とのコメントが
あったため、つい「西郷頼母と四郎」についての
話が長くなりました。

たしかに、毎日6〜700件ものアクセスが
あったのですが、「会津」に関心の無い方には
いかがだったでしょう。


会津人の歴史好きは無類で、ネットでも 戦死者全員の
氏名と墓地が掲載されるほど、実に膨大な情報が
アップされています。

名古屋に移り住んで思うのは、名古屋人は歴史にとんと
無頓着です。愛知県は「信長、秀吉、家康」の三英傑を
産んだだけでなく、肥後の加藤清正、土佐の山内一豊、
広島の福島正則、阿波の蜂須賀、加賀の前田、それに
徳川ご三家に、松平、本多、板倉、水野などの譜代大名。
そして幕末でも会津「松平容保」、桑名の「定敬」と、
全国三百諸侯の五分の一の60家がなんと愛知県の
出身者なのです。ああそれなのに、名古屋の人は
「会津松平容保が尾張徳川義勝の弟だった」なんて
ことも知る人は一割もいないでしょう。

名古屋人は、過去に執着するより、未来を考えます。
それが名古屋の成長発展の原動力となってきたようです。

過去に執着する会津は、観光収入に頼るだけで、未来の
無い町です。戊辰戦争から145年。遠い昔となり、観光客も
激減していたところへ、今『八重の桜』で降って沸いた
観光客増。しかしこれも今年限りでしょう。ふるさとは
遠く離れて思うもの。住むのは つらい町です。

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