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平成の虚無僧一路の日記

『八重の桜』 8月23日決戦の日 

2013年06月30日 外部ブログ記事
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6/30『八重の桜』も、いつのまにか26回。クライマックスの
会津戦争「決戦の時」。会津の一番長い日「8月23日」で1幕。

昨年でしたか、ラジオの「今日は何の日」で「白虎隊自刃の日」と
取り上げられたり、カレンダーにも書いてあったりで、「へぇ〜」
と思ったものでした。歴史的事件で、一般に日にちまで記憶されて
いるのは せいぜい「三月三日の桜田門外の変」ぐらいでしょう。
それが「会津が降伏した日」でもなく、西軍が城下に攻め込んだ日
としてとりあげられるとは稀有なことです。

私も「8月23日」は、先祖の弔いの日として忘れられません。
「牧原一郎(63歳)」とその弟の「奇平(61歳)」、さらに
甥の「源八郎(18歳)」は、「容保」公の供をして滝沢本陣に
向かいます。

猪苗代陥落の知らせに、白虎士中二番隊とともに、「牧原奇平」は、
僧侶や神主、山伏、相撲の力士等を かり集めて「戸の口原」に
向かいます。
それに甥の「源八郎」も従いました。しかし、大砲と鉄砲には
敵うべくもなく、みな敗走してしまい、「奇平」は責任をとって
強清水で自刃します。「源八郎」は腕を撃たれ敗走し、北会津の
農家に匿われ、命をつなぎました。私の直接の先祖です。

そして「奇兵」の兄「牧原一郎」は、「容保」公が滝沢本陣から
城に退却する際、「老いの身、足手まといになっては」と、首を
かき切るのですが、殿様から「君、あわて はやまるなかれ」と
諭され、甲賀口郭門横の自邸に戻り、しばし防戦。力尽きて
孫の「豊四郎」に介錯してもらいました。(孫が祖父の首を
切り落とす、現代なら猟奇事件ですな)

以前の年末時代劇『白虎隊』では、牧原邸の隣人「井上丘隅」を
森茂久弥が演じ感動でした。「井上丘隅」は「神保雪」の実父です。
ドラマ『白虎隊』では「井上丘隅」は最後まで生き残りますが、
事実は、「甲賀町口」で子供たちを連れて防戦し、牧原一郎と
ともに自害して果てます。

「甲賀口」では、老人ばかりでなく幼少年の悲劇もありました。


■土佐藩士「氷室隼人」の手記に「この時の戦に、七十歳ばかりの
老人 槍を引っ提げ躍り出て、味方の一人を刺し、引き込む槍の
石突で他の一人の腰を突いたので、遂に鉄砲で撃ち倒した。

それと同時に十四、五歳の少年が 槍を構えて手向かって来たので、
其奴を生け捕れ、生け捕れと叫んだが、またぞろ一人が刺されたので、
鉄砲で射殺した。

その夜は 酒の宴に その少年の首を大皿に乗せ、“愉快極まる
この夜の酒宴、中にますらお美少年”と歌って、一同、大いに
酒を飲みほした」と。その少年というのが、門番役佐藤與左衛門
(74歳)の孫の「勝之助」十四歳であった。

世羅修三同様、いやな事件。さすがNHKでもカットされましたな。

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