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平成の虚無僧一路の日記

鈴木貫太郎と畑俊六 

2010年08月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



戦争終末期の内閣総理大臣。昭和20年4月、77歳という
史上最高齢で「総理大臣」と「外務大臣」に兼務で就任した。

なんと、この人、海軍大将で、昭和11年(1936年)年に
起きた二・二六事件では、青年将校らに襲撃されている。

天皇の信任あつく、戦争終結への大命を負って、総理大臣に
なった。だが、就任当初は「徹底抗戦」派を装い、終戦工作に
ついては内密にして、とぼけていたようだ

総理を決めるとき、東条英機は、陸軍の畑俊六元帥を推した。
東条は「畑俊六なら徹底抗戦を遂行できる」と考えたらしい。

鈴木貫太郎は、「終戦か徹底抗戦かについては、最終的には
天皇のご聖断を仰ごう」と、天皇に下駄を預けてしまった。
77歳、よぼよぼの不甲斐ない総理と思われがちだが、どうして
どっこい、なかなかの古狸だったのだ。

一方の畑俊六は、「生きて俘虜の辱めを受けず・・・」の『戦陣訓』
を制定させた人であり、峻厳な軍人だから「徹底抗戦」派と
思われていた。ところが、おっとどっこい。畑も天皇の信任篤く、
4月に西日本を統括する「第二総軍」の司令官になった時から、
天皇−鈴木総理−畑で、戦争終結のシナリオが描かれていたのだ。


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