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平成の虚無僧一路の日記

柴五郎陸軍大将 

2010年08月18日 外部ブログ記事
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岩波新書『ある明治人の記録』で知る人ぞ知る、会津
人で、初めて陸軍大将にまで出世した人だ。

柴五郎は 1860年の生まれ。明治元年の戊辰戦争当時は
8歳だった。戊辰戦後、下北半島で悲惨な生活を経験するが、
明治6年、陸軍幼年学校に、明治10年、陸軍士官学校に進み、
明治12年、陸軍砲兵少尉に任官される。同期には『坂の上の
雲』の秋山好古がいた。

明治32年清国に派遣され、そこで『義和団』事件が起きる。

私が子供の頃『北京の55日』という映画があった。チャールトン.
ヘストン主演の“総天然色”の映像を記憶している。この映画は
アメリカとイギリスが大活躍して義和団を撃退したことになって
いた。その時は気がつかなかったが、伊丹十三が扮する日本の
軍人が「柴五郎」だった。映画では、二言しかセリフが無いが、
実際は、柴五郎指揮下の日本軍の活躍で、義和団を撃退
したのだ。この義和団事件の働きで、柴は海外各国から賞賛と
勲章を贈られる。

その後日露戦争にも従軍するが、軍人としての出世は遅く、
1919年(大正8年)になってようやく陸軍大将に進級し、
1923年(大正12年)には「予備役」となる。

私の父が出征した昭和16年当時は、もう退役軍人だったのだ。
そして、1945年(昭和20年)の敗戦後、9月15日に自決を図る。
即死せず、その傷がもとで12月に亡くなった。85歳だった。

退役軍人だった柴五郎は、出征して行く会津の若者全員に、
「祈 武運長久 陸軍大将 柴五郎」と揮毫した日章旗を贈って
いたのだろうか。


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