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平成の虚無僧一路の日記

福沢諭吉の宗教観 

2013年06月04日 外部ブログ記事
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「福沢諭吉」は、みずから「無信心」を公言して憚らなかったが、
宗教を否定したわけではなかったようです。

『時事新報』(1897年9月4日)の社説「宗教は茶の如し」において、
「宗教は社会の安寧維持のために必要であり、仏教と耶蘇教の相違は、
経世上の眼から見れば緑茶と紅茶の違いぐらいである」と述べ、
「その味を解せしむるを経世上の必要と認めて大に望みを属する
ものなり」としている。

意外にも、明治4年、まだキリシタン禁制の頃、イギリスから
宣教師たちを迎え、子供たちの家庭教師にしたりして、彼らの
庇護者となっていたのです。だが、それも宣教師たちを通じて
西洋の文化を知る手立てであったとも思えます。

仏教についても、宗教の意義は認めるが、現実の仏教界の有り様に
ついては疑いをもっていたのです。

浄土真宗の信徒として、法事などはきちんと行っており、
戒名は「大観院独立自尊居士」と受けてはいたのですが、
墓石には「福沢諭吉墓、妻阿錦の墓」と本名を刻んでいます。

墓石について次のように遺言していました。

「墓石を大きくするといふことはつまらぬことである。
人間の家といふもの は、栄枯盛衰ちっとも当てにならぬもので、
子孫が貧乏したり、跡絶えになったりすれば、墓荒らしになり、
墓石はひっくり返り、見るも哀れであるが、 さうなると、
大きな墓石ほど見苦しくも哀れにもなる。母の墓石は此の通り
小さいが、何も費用を吝むのではない。以上の理由からわざと
斯うしてゐる。私の墓石も母に準ずるやうに」と。

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