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平成の虚無僧一路の日記

福沢諭吉の墓 

2013年06月04日 外部ブログ記事
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「福沢諭吉」先生のお墓は、今も、麻布の「善福寺」にあります。
東京都内では浅草寺に次ぐ古刹で、幕末にはアメリカ公使館が置かれ、
ハリスが滞在したという由緒ある寺です。

福沢諭吉は、明治34年(1901)2月3日、66歳で亡くなりました。
葬儀はここ「善福寺」で盛大に行われました。「三田から善福寺まで
2キロの道を、全塾生をはじめ1万5千人の会葬者が徒歩で棺に従った」
そうです。

ところが、当時(今も?)「港区では土葬は禁じられていた」ため?、
「善福寺」には埋葬できず、遺体は上大崎の「常光寺」に埋葬されました。
私の在学中は、こちらでしたので、毎年2月3日には、目黒駅から
歩いて、墓参りに詣でていました。

「常光寺」は「福沢諭吉」自身が 散歩の折に気にいられて、そこに
埋葬するよう決めていたからだそうです。

しかし、福沢家は「浄土真宗(西本願寺派)」なのに、「常光寺」は
「浄土宗」で宗旨が違うために、昭和52年、福沢家の意向で、
善福寺に改葬された。その時、福沢諭吉の遺体はミイラ化していたので、
荼毘にふして、「善福寺」に埋葬された。

宗教には無頓着な福沢諭吉でしたので、「真宗」であろうが
なかろうが、勝手に菩提寺を決めたのも福沢諭吉らしいことです。

さて、この時、妻の「錦」さんの話しが伝えられています。
夫(福沢諭吉)は「墓石を大きくするといふことはつまらぬことである。
人間の家といふもの は栄枯盛衰ちつとも当てにならぬもので、
子孫が貧乏したり、跡絶えになつた りすれば、墓は墓荒らしになり、
墓石はひつくり返り、見るも哀れであるが、 さうなると、
大きな墓石ほど見苦しくも哀れにもなる。母の墓石は此の通り小さいが、
何も費用を吝むのではない。以上の理由からわざと斯うしてゐる。
私の墓石も母に準ずるやうに」と遺言していたのに、塾の宿老たちが
あのやうにしてしまはれた。私がそれでは困ると 申すと、御夫妻同会
ですから少しは大きくても我慢して頂きますといって、肯き入れて
くれなかった」と。

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