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平成の虚無僧一路の日記

「八重の桜」 神保修理の切腹 

2013年05月26日 外部ブログ記事
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5/26 「八重の桜」第21回

戊辰戦争 第1の悲劇「神保修理の切腹」。
慶喜と容保が藩士を置き去りにして江戸に逃げ帰ったことの
責任を負わされて 詰め腹を切らされる。

「会津はあくまで徳川に忠節を尽くし、徳川に殉じた」などと
一般に言われているがトンでもない。会津藩としては、もっとも
恨むべきは、薩長よりも「徳川慶喜」なのだ。

司馬遼太郎の「王城の護衛者」では「なんすれぞ大樹、連枝を
投げ打つ」と容保の思いを語ってくれている。
「大樹」とは「徳川宗家」のこと。徳川宗家に捨てられたという
怒りが、「神保修理」に向けられてしまった。このへんがよく
解らない。歴史の闇。

「八重の桜」では、容保が直々に面談して「切腹せよ」と命じ、
その裏では、秋月に逃がすよう指図していたことになっている。

Wikipediaでは、容保との面会を許されず、激高した藩士達から
「殿の命令」と、詰め腹を切らされたとされる。

そして悲劇は、妻「雪子」にも降り注ぐ。夫の自刃後、雪子は
8月の会津戦争で薙刀を手に敵陣に向かい、大垣藩兵に捕らえられて、
自ら命を絶つ。

「雪子」は甲賀町郭門脇の牧原邸の隣人「井上丘隅」の娘。
1986年の日本テレビ「年末時代劇・白虎隊」では、「井上丘隅」を
「森繁久弥」が、「雪子」は「池上季実子」が演じた。
「白虎隊」では「井上丘隅」は最期まで生き残るが、事実は
8月23日、牧原一郎とともに郭門を守備し、討ち死にする。

「雪子」は父の「井上丘隅」から「夫の後を追え」と実家に
迎え入れられず、城にも入らなかった。実家の女性も全員、
城に入らずに、自刃している。

「八重の桜」では、福島出身の女優「芦名星」が演じている。
諏訪神社の鳥居に石を投げて、乗らなかったという演出が、
夫「修理」の死を予告していた。あの時すでに泣けた。

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