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平成の虚無僧一路の日記

尺八のルーツがついに明らかに 

2013年04月22日 外部ブログ記事
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秦氏は「日本書紀」によれば、応神天皇の283年に
弓月君が百済から127県の1万8670人を連れて 日本に
来たという。

「弓月君」という名前は、天山山脈の北にある
バルハシ湖に流れるイル川の上流にあった弓月国の
「ヤマトゥ」から来たらしい。まさに「大和」。

この「ヤマトゥ」の近くに「ハン・テングリ山」と
いう山があって、 この山が「天狗」のルーツでは
ないか。

ハン(Khan)は、族長の称号であり、テングリ
(Tengri)は、「天の神」を示すと言う。

弓月国(Kung-Yueh)は キリスト教王国であった。
天皇のことを「ミカド(帝)」と呼ぶが、これは
「ミー・ガド(ガド族から出た者)」のことだと言う。

ガド族の始祖「ガド」の長男の名前は「ニェポン」
だった。まさに「ニッポン」。


秦氏が定住した「太秦(ウズマサ)」は中国では
「キリスト教景教」を意味していると。

秦氏は、伊勢神宮、猿田彦神社、宇佐八幡、伏見稲荷
など、日本の神社、神道に深く関係している。そこでは
雅楽も奉じられた。つまり、雅楽を日本にもたらしたのも
秦氏。篳篥(ひちりき)の「東儀」氏の祖は「秦」氏で
ある。猿田彦神の顔は天狗と同じく、鼻が高いイスラエル人
であり、芸能の神である。

さてさて、奈良東大寺正倉院の尺八は「百済」から
伝わったとされているが、秦氏が百済を経由して
日本に持ち込んだものとしたら・・・・・。

そう、ローマのキリスト教と関わりのある「秦」氏である。
ローマでは「縦笛」のことを「Tuiba」と呼んでいた。
尺八は、この「チーパ」が「秦」氏によって、まず中国に
もたらされ「尺八」という漢字が当てられた。その後
中国を追われた「秦」氏が朝鮮「百済」を経由して
日本に持ち込んだ。

正倉院の古代尺八は「ドレミファソラシド」の7音階に
なっている。そのことからも「尺八が中国の唐代に作られた」
という通説は誤りで、もっとそれ以前からタクラマカンを
経てローマから伝わったものなのだ。

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