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平成の虚無僧一路の日記

幻の東北列藩・プロイセン連合 

2013年04月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2011.11.22に書いた「幻の東北列藩・プロイセン連合」に
トラックバックで、下記のサイトが寄せられました。
上には上がいるもの。愛媛県の女性の方です。
一部転載させていただきます。

「郎女(いらつめ)迷々日録」 幕末東西BS歴史館
「幻の東北列藩・プロイセン連合」と史料

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2011年の7月、NHKのBS歴史館で、『発見!戊辰戦争
「幻の東北列藩・プロイセン連合』 が放送されました。

プロイセンの代理公使「マックス・フォン・ブラント」が、
戊辰戦争中、本国の宰相オットー・フォン・ビスマルクへ
書いた手紙に、「会津と庄内が蝦夷地(北海道)の一部の
売却を申し出ているのだが買ってはどうだろうか?」と
いうような提案があった。驚き桃の木。
 
番組では、「ビスマルクは、欧州の他国との協調関係を
おもんばかって、ブラント公使に 会津・庄内の申し出を
断るよう指示した」とされ、そこでこの話は終わって
いました。

ところが、ブラント公使の「ビスマルクへの報告」には、
続きがありました。

「会津と庄内が蝦夷地を売りたがっている」という情報に続けて、
「グラバーは琉球を担保として薩摩に金を貸しつけていて、
イギリス政府がその利権を手に入れ、土地を取得するつもりだ。
またアメリカも長崎に海軍基地を持とうと計画している」と
いうのです。

結果、ビスマルクは前言を撤回し、「英米が日本で土地を
得ようとしていることが本当なら、会津・庄内の申し出に
応じよ」と、ブラント公使に命じた。

しかし、当時の手紙のやりとりは船便で、欧州と日本の間では、
およそ2ヶ月かかりました。その命令が日本へ届いたときには、
会津も庄内も降伏し、蝦夷地購入の機会は失われた。

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いやあ、危機一髪。会津藩の降服が「蝦夷地」を救ったのでした。
何が幸いするか わかりませんね。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





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