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平成の虚無僧一路の日記

北条の忍者「風魔」とは? 

2013年04月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞夕刊に連載中の『水軍遥かなり』。
熊野水軍の「九鬼守隆」が、秀吉の小田原北条攻めには、
他の水軍と先を争い、伊豆半島に出動します。敵は
「風魔一族」。全く得たいの知れない忍者集団。

この北条氏お抱えの「乱破(らっぱ=忍者)」「風魔」に
ついては大衆娯楽小説ではよく登場してくるのですが、
実態はほとんど不明です。

『北条五代記』によれば、五代目の「風魔小太郎」は、
「身の丈七尺二寸(2m16cm)、筋骨荒々しく むらこぶあり、
眼口は広く逆さに裂け、黒ひげをたくわえ、牙四つ外に現れ、
頭は福禄寿に似て鼻高し」と。どうやら日本人ではなく、
紅毛人(スペインかイギリスの海賊)ではなかったかとも
想像されます。

北条家が滅亡すると、風魔は 江戸近辺を荒らし回る
盗賊となり、「小太郎」は、1603年、幕府に捕えられ
処刑されました。

「風魔」は 仲間内の連絡に「尺八」を使っていた
という説もあります。「一節切」とはまた違う
短くて太いもので「忍流尺八」と呼ばれていたとも。

『野ぼうの城』で有名になった北条方の行田の城は
「忍城」でした。北条氏の滅亡で失業した「風魔」
一族が虚無僧となったのではないかと、私は考えて
います。虚無僧が“隠密”と言われるのは、元は
「風魔」だったからではないでしょうか。

忍者は「乱破(らっぱ)」とか「素破(すっぱ)」とも
呼ばれていました。「乱波(らっぱ)」と「喇叭
(ラッパ)」。「素破(すっぱ)」と「「尺八(チーパ)」
なんか関連ありそな 無いような気がしております。

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