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平成の虚無僧一路の日記

お盆、墓参り 

2010年08月01日 外部ブログ記事
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思いをめぐらす。

父の生家、会津の本家では、毎年8月7日が墓参りだ。
子供の頃は毎年行っていたが、もう40年以上も行って
いない。本家は私の従兄弟が、今一人で住んでいる。
1000坪の敷地に、部屋数は20以上。蔵が5つ。築山と
池があり、赤松や柿の木の向こうに会津磐梯山が借景
として見える。NHKでも紹介されたことがある。
瓦を乗せた門構え、堀を巡らした瓦塀は、寺院並みだ。

先祖の墓は、会津盆地の東、大窪山に在った。初代の
墓は高さ2m、巾1m四方はあっただろうか。その周囲に
大小20程の墓が一基ずつ整然と並んでいた。

それが、20年ほど前、家の近くの共同墓地に移し、
「牧原家先祖の墓」として合祀してしまった。


会津藩士は、藩祖保科正之に倣って、みな、神道で、
小田山から青木山、大窪山にかけて葬られている。
それは、一朝事があった時、先祖の霊が会津を護る
ようにと、城を見おろす山の麓に葬られたのかも
しれない。ところが、そんな願いも空しく、戊辰戦争
で、官軍は、村人の案内で、城を眼下に見下ろす
小田山に大砲を上げ、そこから城内めがけて、毎日
2000発もの弾を撃ち込んだのだ。

ソニーの井深氏の先祖も会津藩士だった。もう何十年も
前だが、井深氏の先祖の墓探しをして、見つかったと
いうニュースがあった

ネットを検索していて、またまたびっくり。
「大窪山に眠る人々」というサイトがあって、墓の
写真がアップされている。その中に私の家の先祖の
墓が2つ、「牧原奇平」と「牧原文吾」。母方の
「山室鉄三郎」の墓もあった。

誰も知らない。誰も墓参りをしたことがない。

特に「牧原文吾」は、脱藩して「幕府見回組」に入り
(坂本龍馬暗殺に加わったか?)、行くへ不明とされて
いた人物だ。

ひっそりと眠っている御霊が、私を呼んでいるようだ。
お盆、行かねばなるまい。尺八持って。
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