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たかが一人、されど一人
226事件の日だ
2013年02月26日
テーマ:テーマ無し
大分昔のことになるが落語家の柳家小さん(5代目)師匠と仕事をしたことがあった。その折に直接226事件当時の思い出を直接伺った。師匠は1915年生まれだから25歳も年上で、当時すでに好々爺の雰囲気を持っていらした。剣道の師範とか怖いイメージは全くなく、あの大雪の早朝非常呼集で整列させられて、なにがなんだか全く分からないまま警視庁前にまで出動して、気がついたら反乱軍になっていたと笑顔で話してくれた。正面玄関に機関銃を設置したりして非常線を張って警戒にあたったのだが、2等兵の師匠には事情がよく呑み込めなかったらしい。確か3晩ほど駐屯が続いたはずだが、野営の合間に落語をやれと言われたりしたそうだ。正反対の立場にいたのが我が父で、当時は警視庁の巡査さん。新婚ほやほやで長兄が生まれたばかりの時で、非番で家に居たらしい。こちらにも非常呼集が掛かったらしい。大学時代若林に下宿していた時、当時の家を母と一緒に見に行った事がある。三軒茶屋だったのですぐ近くだった。1962年頃だから1936年からすると既に26年も後のことである。しかし、その家が戦災の被害もなかったようで、両親の新婚家庭の佇まいのまま残っていた。2軒長屋の1軒で母が涙を浮かべんばかりに感激して、住人に事情を説明して許可をもらい、玄関先から中を覗かせてもらったのを記憶している。確か玄関の奥に座敷らしきものは二間しかなかった。今時は無いだろうが、木造平屋の長屋はその頃まで新婚さんの定番住居だったに違いない。そんな長屋に電話が引かれていたとも思えないが、兎に角呼び出されて、勤務先の警視庁に駆け付けると、小さん師匠たちが非常線を張っているので入れない。已む無く皇宮警察の宿舎に行って、着の身着のまま数日過ごしたように聞いている。黒い警察の外套を着た大勢の同僚とごろ寝している写真を見たような気がする。事件から77年後の首都の今日、天気は晴れて雪の欠片も見当たらない。小さん師匠たちは反乱軍とされて説得に応じ4日か後には兵営に戻るが、事件を首謀したと断ぜられた現役又は元将校17人は軍法会議で死刑を宣告されて7月には刑が執行されている。この他に自決した現役将校2名がいるので、政府にとっても軍部にとっても大変な大事件である。日本の歴史上大きな意味を持っていたに違いない。何故ならその翌年には今次大戦の前哨戦であるシナ事変が始まり5年後には本格的対米英戦に入っていく。事件そのものについては、小生を含めてであるが、若手将校たちが政界の腐敗に腹を立てて反乱を起こしたが、天皇の叡慮によって鎮圧された程度の認識だろう。果たしてそれでいいのだろうか?一説には賊軍とされた若手将校は、当時の日本が非常に好戦的な政策に傾斜して柄行くのを憂いていたとも言われている。何か今の世相に似ていないか?以下は「正しい情報を探すブログ」から引用http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11478602396.html「蹶起趣意書のベールをかけた腹話的な言い方で、反乱者たちは天皇に請うてこれ以上の外征上の紛争の危険から手を引き、彼の勢力を内政改革と日本の伝統的な大和魂の保持に傾けるように求めていた。」以下は蹶起文の一部を孫引き「露支英米との間、一触即発して祖宗遺垂のこの神洲を一擲(いってき)破滅に堕せしむるは火を睹(み)るよりも明かなり。」
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