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92歳の老女からの手紙 

2013年02月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

数日前、一通の封書が届いた。送り主は大正10年生まれ92歳の老女である。
宛名は毛筆で、数枚の便箋にはペン字で達筆な文章が書かれている。
昔いただいた手紙と全く変わりがない。
昔から体が弱く、心臓の持病で何度も手術を受け、今は身寄りもなく二年前から施設で車椅子の生活である。
しかし、脳の衰えは全くない。
私の母は80台の頃には努力してもまっすぐに字が書けないと嘆いていた。便箋には線に沿って真っ直ぐ書けても宛名はどんどん斜めになってしまう。どう努力してもダメだと、何で斜めになるのか分からないと嘆いていた。
女房の父親は達筆だったがボケるに比例して字は崩れ全く書けなくなった。
この老女の手紙は昔のままである。とても92歳の手紙とは思えない。
大正女の底力か、まるで化け物だねと私は女房に言った。
私の知る限り、ずっと病弱のまま医者任せで、長生きできる雰囲気の方ではなかった。
何がこうも違うのだろう?
私との出会いは45年前、彼女が40代私が20代であった。
独身寮の管理人さんご夫妻として寮生の私は3年間大変お世話になった。
以来、電話や手紙のやり取りのみで、再会したのは10年前である。
当時、持病の心臓発作で入院中、担当医は「心臓が普通の人の2割ぐらいしか機能していないので一人暮らしは無理なんですけどね」と言われた。
すぐにギブアップする心臓を抱え、ゆっくりゆっくり壁をつたい手摺に縋りながらヘルパーさんたちの手を借りて生きていたが、数年前、息子さんも亡くなり身寄りもなくなりとうとう施設にはいられた。
先週、ふと思って安否を尋ねてみたところ健在とわかりビックリしていたところへ翌日彼女から電話が入った。
以前と全く変わらぬ声で「長話ができないから手紙を書きます」と言われてすぐに電話を切った。
そして、今回届いた手紙である。
心臓がギブアップする彼女、肺がギブアップする私、言われるままに医者に行き、言われるままに薬を飲み、何の疑問も持たずなり行きに任せて人生を受け入れる彼女、相応に肉体は衰えても脳は冴え冴えの92歳、一方の私はCOPDに立ち向かい一生懸命生きようと心がけては挫折しまくり、物忘れが酷くなるのを恐れつつも実感せざるを得ない68歳。
一体何が違うんだろう?
天から見れば、私は大きな的外れをしながら生きているのかもしれない。
まだ気付かぬかと天は笑っておられるかもしれない。
一生懸命考え、一つ一つ吟味し選択しながら生きている私、全てを成り行きに任せて生きている彼女。
荘子の哲学、成り行きに任せ思い煩うなという思想は彼女のような生き方を指すのかもしれない。
自然の営みに沿って生きようとしてきたが、頭で考えているだけで生き方そのものは不自然だったかなぁ、う〜〜〜〜ん
彼女の手紙を見つめながら考え込んでしまう毎日である。

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