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平成の虚無僧一路の日記

牧の原城 

2010年07月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『牧原』と名乗る」とある。私も父も親戚皆、「牧の原」
は静岡県の「牧の原」と思い込んでいた。

しかし、私が名古屋に来て、気づいた。静岡県は「遠州」だ。
「三河」なら愛知県内でなければならない。

では「三河の牧ノ原」とは どこなのか。名古屋市内には
名東区に「牧ノ原」という地名があるが、最近付けられた
地名のようだ。

岡崎市の郊外、「くらがり渓谷」の手前に「牧原」がある。
あるいは、ここではないかと思っている。徳川の出身地
松平郷にも近い。


静岡県の「牧の原」の由来も調べてみた。
東名の「牧の原SA」、「東洋一の茶園」で知られているが、
最近、町村合併で「牧の原市」が誕生した。

ここは戦国時代、武田勝頼が築かせた「諏訪原城」があった。

天正3年(1575年)長篠の戦いで武田軍が織田徳川連合軍に
大敗した後、徳川家康に攻められ 落城した。

家康は、諏訪原城を落すと、牧野康成、松平家忠らに交代で
「城番」として管理させることにした。そして、この時
「牧野城」と改名させた。『家忠日記』では「牧野原城」
とも記している。

たぶん それまで「諏訪原」と云っていたので、「牧野」に
「原」も付けて呼びならわしたのであろう、というのが私の
推測である。


子供の頃の私の夢は、老後は、牧の原台地に土地を取得して
「牧ノ原城」を建てて住むことだった。だが日暮れて道遠し。
ザンネン。
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