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平成の虚無僧一路の日記

宇治の庵主「朗庵」 の像 

2013年02月14日 外部ブログ記事
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『宇治の庵主朗庵の図』というのがあります。


明らかに異人(中国人)の格好です。リールのついた釣竿を
腰につけ、手には長い尺八を持っている。その絵の上に
次のようなことが書かれています。

「余、東奥行脚の砌(みぎり)、相州巨福路、建長禅寺に入り
逗留した折り、祥啓が「珍しい様相だ」といって、自分の姿を
描き記してくれた。そして「思うところを記せ」と勧められた
ので、次の詩を書いた。

 龍頭を切断してより之後 尺八寸中古今に通ず
 吹き出だす無常心の一曲 三千里の外知音絶す

 文明丁酉秋 宇治の旧蘆にて 朗庵叟書   」

「相州巨福路(こぶくろ)建長禅寺」は鎌倉の建長寺。
祥啓は、そこの画僧で、文明10年には京都に上り、
絵の修行をしています。

この絵と賛がその通りならば、大変貴重な史料ですが、
神田可遊氏は「この絵は、中国(宋)から伝わった、絵の
見本帳を模写したもので、何点か現存している」とし、
しかも上段の「賛」は後で切り貼りされているという
のです。

となると「朗庵」の実在もあやしくなってきます。

この詩は『体源抄』(豊原統秋 1515頃)に、「一休の
作として載っているのと似ています。

『朗庵書』       『体源抄』

 龍頭切断而以来    龍頭切断而以来
 尺八寸中通古今    尺八寸中通古今
 吹出無常心一曲    吹出無常心一曲
 三千里外絶知音    三千里外少知音

しかし、現存する「日本古典全集刊行会」の翻刻版
『体源抄』には、「尺八寸中通古今 吹出無常心一曲」
の二句がありません。原本には在るのか、いつ誰が
付け足したのか、謎なのです。 

そしてまた、狂言の「楽阿弥」に出てくる台詞とも似ているのです。

「かの宇治のろうあんじゅ(朗庵主?)の尺八のじょ(偈に同じ)にも
両とふ(頭)をせつだんしてより、尺八寸中古今に通ず、吹き起こす
無常心の一曲 三千里の外に知音絶す」と。

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