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平成の虚無僧一路の日記
狂言『楽阿弥』は江戸時代の作か?
2013年02月13日
テーマ:テーマ無し
狂言に『楽阿弥』というのがあります。
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「旅の僧が伊勢参りの途中、伊勢の別保村にさしかかると、
何本もの尺八がぶら下がっている松の木があった。村人に
その由来を尋ねると、その昔、楽阿弥という 尺八狂いの男がいて、
その霊を弔う松だという。ならばと、旅の僧は袖の下より
尺八を取り出して「自分も一曲手向けよう」と短尺八を吹く。
すると、それに合わせるかのように低い音が聞こえてくる。
それは楽阿弥の亡霊だった。しばし、短尺八と大尺八とで
合わせ吹く
「宇治の朗庵主の序(=偈)にも『両頭を切断してより後、
尺八寸中古今に通ず』とあるように、こうして幽明境を異に
する二人が心を通わせられるのも尺八の縁かと言って消えよう
とする。そこで旅の僧が、せめて最期を語らせたまえというと。
「さらば語りなん。楽阿弥は、時と所をかまわず門付けして
尺八を吹くものだから、村人に嫌われて布施ももらえない。
またそれを腹立ちまみれにあちこち行って悪態をつくもの
だから、尺八のように、縄でしばられ、矯められ、炙られ、
のこぎりでひかれ、殺されてしまった。冥土に行っても尺八
への妄執を断ち切れずにいる。この苦しみを救ってくれ」と
言い残して消えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メ
狂言だが、楽阿弥の霊が現れて、旅の僧に最期の様を語る
という「夢幻能」の形式になっています。
「1561年に京都の三好邸で演じられた」との記録があり、
狂言の中で最も古く「南北朝頃の作か」と言われています。
しかし、いろいろ疑問点があります。
「われらも持ちたる尺八を、袖の下より取り出だし」は、
1518年成立の『閑吟集』にある句です。
「宇治の朗庵主の頌にも『手づから両頭を切断してより後、
尺八寸中古今に通ず』」という台詞。これは「文明丁酉
(1477年)祥啓筆」と記載のある『朗庵像』に書かれている
頌=偈です。この『朗庵像』を 見知っていて作られたものと
思われます。
ところが、1511年頃編纂された『体源抄』に「一休の作」として
載っている偈では、「両頭を切断してより後、三千里外
知音絶ゆ」とあって「尺八寸中古今に通ず」はありません。
「尺八寸中」が「1尺8寸」と「尺八」を掛けたもので
「尺八が1尺8寸」ということを表しているとすると、
江戸時代に加補されたのではないかという説が浮上して
きます。
となると「文明丁酉(1477)年祥啓筆」という記載も
怪しくなってくるのです。『朗庵像』の頌=偈が、
江戸時代のものとなると、この『楽阿弥』の狂言も
江戸時代の作となります。
もうひとつ、「大尺八と小尺八を吹き合わせする」と
いうことは、室町時代に調子の違う2管の尺八で合奏が
できたのか。1オクターブ違うとなると、1尺1寸の
「一節切」と、その倍の「2尺2寸の尺八」が存在
していたことになります。
決定的なのは、「楽阿弥」がなぶり殺される情景を
「縄でしばり、矯(た)められ、炙(あぶ)られ、のこぎりで
ひかれ」と、尺八の製法を語っていることです。そこが
おかしく笑える「狂言」になっている所以(ゆえん)です。
今日の尺八は、根の方を下に使い、下部を縄でしばって
火にあぶり、若干反らせる“ためなおし”というのを
します。それから、のこぎりで切ります。
室町時代の「一節切」は真っ直ぐで、ためなおしの
必要はありません。今日のような根っ子を使った尺八の
製法が書かれているということは、『楽阿弥』は
江戸時代の作と考えられるのです。
もっとも、水上勉は『虚竹の笛』で、今日のと同様の
尺八が室町時代にも存在し、それは「一休」が創作した
かのような記述になっています。しかし、大徳寺の
芳春院と、酬恩庵一休寺に伝存する「一休の尺八」は
「一節切」です。
これも、私は一休より後世のものと思っています。
その理由は、江戸時代に「一節切」を復活させようと
した際、「尺八」の名にこだわって「1尺8分」に
なります。室町時代の「一節切」は1尺1寸〜3寸は
あったようです。
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