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大鵬関、納谷幸喜さん、大きな足跡を残して・・・ 

2013年01月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  このニュースにも衝撃を受けました。

         大鵬関、納谷幸喜さん
     大きな足跡を残して・・・



不滅の足跡を残して、
            旅立ちの途に就かれました。
大鵬関、納屋幸喜さん。


1940(昭和15)年生まれ、私より3歳上。
昭和36年、高校生だった頃の大英雄でした。


大鵬関の幼少時代、第二次世界大戦後、
樺太からの引き揚げでは、
乗った船が北海道・稚内で降ろした後に
     国籍不明の船から攻撃を受けて沈没。
命からがらたどり着いた北海道では、
             きょうだいは奉公で離散。
納谷さんも納豆売りや新聞配達をして家計を助けた。
「スケート靴やスキーは、自分で木の枝や鉄板で作った。
入門するまでラーメンを食べたことがなかった」
想像を絶する貧困・苦労と忍耐!


その苦労をバネに各界で不滅の功績を残されました。
高校生だった私は、「巨人・大鵬・卵焼き」を、
          当然のように受け止めていましたが、
その活躍の裏の苦労と忍耐と努力を改めて知るにつれ、
その足跡の大きさに感銘してます。



ライバル柏戸剛関との長く続いた「柏鵬時代」
・・・この対決テレビ放映にも、固唾を呑んで観ました。



力士は伝統文化の担い手。
自分の受けた薫陶を
      次の世代に継承するのも私の役目。

と、終生を相撲道の発展に尽くされました。


数々の名力士の台頭、
子どもの頃から、
地面に、棒でいびつな土俵の「丸」を描いて、
栃若や!
高校時代も、柏鵬や!
            と自称して、
草相撲をよくやりました。


あんな時代と若い自分が懐かしい!

だけど、懐かしがってばかり居ずに
伝統文化をどう次世代の人たちに繋いでいくか・・・
子どもの頃の人の太い絆・お節介・感謝を
      私たち熟年族が、どう伝えていくか・・・

昨日も、ある学習会で、
参加者の皆さんと話し合いました。



日本の伝統文化の“変わり目”みたいな最近です。
その変わり目を、新・旧、どう時代に合わせて繋いでいくか・・・


伝統文化伝承のシンボルみたいな
大鵬関、納屋幸喜さんの死は、
       私たちに多くのことを投げかけます。
ご苦労様でした。
合掌! ゆっくりとお休み下さいますように・・・。

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