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平成の虚無僧一路の日記

赤い靴 

2012年12月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに連れられて 行っちゃった」

この曲は尺八によく合う。しかしまだ人前で吹いたことはない。
子供の頃、この歌から、私は潜在的に外人恐怖症になった。
赤い靴を履いている子は外人に連れて行かれる。外人は人さらい
だと怯えたものである。英語嫌いになったのもそのせいだ。

太平洋戦争で負けた日本には、何千人もの戦災孤児やアメリカ兵との
混血児が生まれた。

そうした孤児をひきとって養育していたエリザベス・サンダース・
ホームの宣教師が、2千人もの孤児を、アメリカ人に養子として
斡旋し、高額の金を得ていたことが暴露された。異人さんは
「人買い」だと騒がれた。

私は「赤い靴をはいてた女の子」は、てっきり、戦後の話かと
思ってた。

そしたら、『赤い靴はいてた』の歌は、1922年(大正11年)、
野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡でした。

この歌のモデルがいたということが、1974年北海道テレビで
放映された。「その子は 静岡県清水市生まれ、北海道に渡り、
生活苦からアメリカ人牧師に貰われ、アメリカに渡るはずだったが、
結核で、麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられ、9歳で亡くなった」
というもの。

番組を制作したのは、北海道新聞の記者「菊池寛」で、1979年
には『赤い靴はいてた女の子』という本も出版している。

その話を元に、日本全国ゆかりの地に「赤い靴の像」が建てられた。

1979年、横浜山下公園に『赤い靴はいてた女の子の像』が作られた。
1986年、日本平『母子像』
1989年、東京麻布十番『きみちゃん像』
1991年、北海道留寿都村『母思像』
2007年、北海道小樽市『赤い靴 親子の像』

ところがところが、この話は「菊池寛」の捏造だという話も出てきた。
「あの文豪の菊池寛が?」と思ったら、「文豪 菊地寛」は1948年に
亡くなっている。同姓同名の別人。記者の名前まで嘘くさい。

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