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平成の虚無僧一路の日記

『青い目の人形』 

2012年12月29日 外部ブログ記事
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『青い眼の人形』は、『赤い靴』同様、野口雨情作詞、
本居長世作曲で 1921年に発表された童謡。


 青い眼をした
お人形は
アメリカ生れの
セルロイド

日本の港へ
ついたとき
一杯涙を
うかべてた

わたしは言葉が
わからない
迷ひ子になつたら
なんとせう

やさしい日本の
嬢ちやんよ
仲よく遊んで
やつとくれ


1927年(昭和2年)緊張高まる日米の友好の架け橋になればと、
米国人宣教師のシドニー・ギューリック氏の提案で、12,739体の
人形が日本に贈られてきた。仲介者は渋沢栄一であった。
この人形は、全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された。

その「青い目の人形」の多くは、太平洋戦争中、“敵性人形”と
して焼却処分されてしまったが、今323体が現存しているそうだ。

童謡の『青い目の人形』は、このアメリカから贈られてきた人形の
ことかと思っていたら、これまた とんでもはっぷん。野口雨情作詞、
本居長世作曲で発表されたのは、6年遡り、1921年のことだった。

この歌がアメリカでも歌われ、それがギューリック氏の心を動かし、
「日本に人形を贈ろうという提案につながったのでは」という
推測もある。

10年ほど前、京都、嵐山の西、清滝を旅していて、廃業となった
旅館の2階ガラス窓を見ると、「青い目のフランス人形」が
空ろな目で外を見つめているのにでくわして、ぎょっとした
ことがあった。その時も、この童謡「青い目の人形」を思い
出していた。

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