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平成の虚無僧一路の日記

私の尺八遍歴 11 「津川にて」 

2012年07月10日 外部ブログ記事
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新潟から新津、五泉を通って、国道49号線を
会津に向かいました。ゴールは、母方の叔父が
いる会津若松でした。

新潟から福島県にはいると、村々の様子が一変
します。昭和42年当時のことですが、東北は
まだまだ貧しい土地でした。

新潟では、行く先々で50円玉をいただけたのに、
福島県にはいると、一律 5円です。「こ縁」に
掛けて、乞食には「5円」というのが慣習になって
はいるのですが、村々の農家の佇まいにその生活の
厳しさ、苦しさが判るのです。

阿賀野川流域を歩き、津川まで行きますと、当時
丁度「阿賀野川水銀事件」が騒がれ始めた頃でした。
山紫水明な山の中に、濛々と白煙を挙げているのが
昭和電工の「鹿瀬工場」でした。実は私の母方の
叔母の夫が「昭和電工」でしたから、私の思いも
複雑でした。

「虚無僧さん、うちにもきてくらんしょ」という
言葉にホイホイついていくと、「婆ちゃんの腰さ
治してくらんしょ」と。まさに「イタイイタイ病」に
苦しんでいるようでした。

「溺れる者 藁をもすがる」、虚無僧の尺八の神通力で
痛みを取り除いてくれというのです。何もできない
自分、言葉もかけてあげられない自分を恥じて、
早々に逃げ出してしまいました。

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