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平成の虚無僧一路の日記

私の尺八遍歴 9 「虚無僧の旅」 

2012年07月10日 外部ブログ記事
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とにかく、虚無僧に憧れていた私ですから、
「富森虚山」師の元で1年半ほど習っただけで、
大学2年の夏休み「虚無僧の旅」に出ました。

親から大学の授業料として預かっていた9万円で、
天蓋に袈裟、着物と帯、草履、手甲、脚絆一式を
買い、偈箱は自分で作って、まずは京都へ。

富森師から紹介いただいた「小泉止山」師を
訪ねました。「小泉止山」師は「小林紫山・
谷北無竹」に学び、明暗38世を継いでおられました。
「富森」師の兄弟子になられます。

さて「小泉止山」師の前で『そろりと参ろう』の
「天風」よろしく、尺八を吹させていただきました。
「小泉」師 曰く「なんだ、その腑抜けた音は」と。

そして聞かせていただいた音は、突き刺すような
鋭い音でした。
(あれれれ?、同じ小林紫山門下の兄弟弟子なのに
「富森」師と「小泉」師では、言われることが
違う?。「富森」師は「寝ている子を起こさぬように、
松林や竹林をよぎる風のように、琴古流のような
人工的な音はご法度」だったのが、「小泉止山」師は、
芯のある力強い音を出される。これが「真音」かと
当時は思ったものでした。

今思うと、「富森」師と「小泉」師は、音色こそ
違うが、息を力いっぱい出し切る、吐き出すという
ことでは、同じかと理解しています。

さて、小泉止山師宅を辞去して、東福寺の子院
「善慧院(ぜんねいん)」へ。現在は「虚竹禅師」を
祀る広い部屋が作られていますが、当時はまだ無く、
せまい庫裡の一画に「虚竹禅師」の像が置かれて
いただけと記憶しています。ご住職も先代の方で、
一泊 泊めていただきました。今から思うと、
恐れ多いことです。今は泊めてはいただけません。
“学生なら何をしても、何でも許される”、そんな
甘えが許された時代でした。

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