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平成の虚無僧一路の日記

私の尺八遍歴 5 「高校時代」 

2012年07月09日 外部ブログ記事
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慶応高校では、長唄三味線や篠笛、鼓、能の鼓や
能管も吹く「竹内明彦」君、日本舞踊「松賀流」の
家元「松賀藤雄」君、そして先輩に市川団十郎、
団子兄弟(本姓は「喜熨斗(きのし)」がおりました。

なんと「団十郎」は「三代目市川猿之助」から
最近「二代目猿翁」を襲名。「団子」は「段四郎」を
襲名し、その長男が「四代目市川猿之助」です。

また、慶応の国文学の名教授「池田弥三郎」氏の
息子「光」君もおり、「池田弥三郎」氏も慶応高校の
教師を兼務していました。

そこで、文化部として「芸能研究会」を立ち上げ
ようとし、まずは「池田弥三郎」氏に、部長を
引き受けていただこうとお願いにいきました。
設立の主旨として「日本の伝統文化を守り、保存
していくために・・・」と説明しましたら、「守らな
ければ 廃れていくようなものでは、しょうがない」と、
にべもなく断られました。

池田弥三郎氏は「源氏物語」の研究などで、テレビ
にも出演し、名の知れた教授でしたが、「慶応の
入試に国語が無いのはおかしい」と、時代の流れに
虚しさと憤りさえ感じていたようです。今でこそ、
歌舞伎も根強い人気を集めていますが、昭和40年
前後は「すたれゆく日本文化」だったのです。

池田弥三郎氏に断られて、長尾??先生に部長を
引き受けていただき、能、歌舞伎、そして尺八など、
日本文化を愛好する者のサークルができました。

長尾先生は、文化庁主催の「芸術祭」の審査員も
務めるほどの方でした。

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