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平成の虚無僧一路の日記

死期の悟りに「母さんがお迎えにきた」 

2012年06月22日 外部ブログ記事
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死亡前、鬼籍の親・仏ら「お迎え」…4割が体験(読売新聞) - goo ニュース


家族の死を みとった人達のアンケート調査で、
「(すでにいない)親の姿を見た」とか「美しい花園
(=仏の世界)を見た」と 語るなど、いわゆる
「お迎え」の体験が、約半数ほどあり、それが
「死に対する不安を和らげ、穏やかな みとりに
つながっている」との報告がありました。

私の父も、亡くなる前の最後の言葉は「夢に
お母さんが現れた」でした。父の「母親」は
結核を患い、父が16歳の時に亡くなっています。
それまで、ずっと“離れ”で、床に臥せっていた
ようです。

父の小学生の時の「日記」に、「離れに近づいては
いけないと云われている。障子の向こうに母様が
寝ている。柿の木に登って遊んでいたら、落ちて
怪我をした。 血が出た。お母さんに気付かれない
ようにと、納屋に隠れた。どうしよう血が止まらない、
ああ止まらない」と、母親に心配をかけまいとする
健気な心がつづられていました。

父は 4歳の時 父親を亡くし、母親も 結核だった
ために?、12歳で 叔母の家に預けられていました
から、母親との思い出は あまり無いと思われます。

それでも、死ぬ間際に「母さんが夢に現れた」と
云うのです。そして、父の目は透き通り、最後は
仏様のように安らかな顔でした。

父のように、「すでに亡くなっている親の夢を見た」と
語る人が多いということ。それが『お迎え』の兆しと、
死期を悟る役割を果たしているとは 気付きませんでした。

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