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平成の虚無僧一路の日記

土佐藩士「中島信行」は人違い? 

2012年06月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「西郷邸での21人自刃」の話で、必ず語られるのが、
土佐藩士「中島信行」の美談です。

土佐藩士「中島信行」が、西郷邸に突入して見たものは、
一家21人の惨劇の場面。その中の一人の少女(長女の
「細布子」16歳)が 死に切れず 意識があり、「敵か、
お味方か?」と聞いた。中島は「味方です」と答えると、
少女は 安心した表情で「武士の情けを」と介錯を乞うた。
そこで中島は、苦しむ彼女に止めを刺すと、その場で
感涙したというもの。

これも、会津戦争のドラマの名場面ですが、いったい
誰がその場を見ていたというのでしょう。

土佐藩の「中島信行」(1846年--1899年)は、後に
板垣退助の率いる自由党の副総裁となる人物ですが、
実は、彼は会津戦争には参加していなかったことが、
最近の調査で明らかにされました。

そもそも 本人がそのようなことを語ったという記録は
無いのです。どうやら、勝手に この物語の主人公に
名前を使われたようです。

作家たちにより、ドラマが創られ、それが史実として
語り継がれる。私の興味は、こうした話がどのような
経緯で創られたのか、その背景を探ることです。


来年、NHK大河ドラマ『八重の桜』で、また でたらめな
創り話が生まれることでしょうね。ドラマは、歴史に
題材をとりながら、現代の価値観を反映して創られます。
どのように脚色されるのか、また楽しみではあります。

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