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合掌、新藤兼人、尾崎紀世彦さん 感動、有り難うございました。 

2012年06月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

     若い時から、思い出を一杯頂いたお二人が亡くなられました。    合掌新藤兼人さん、尾崎紀世彦さん感動を、有り難うございました。お一人は映画監督の新藤兼人さん、お一人は歌手の尾崎紀世彦さんです。新藤さんは、映画を通して、                            数々の提起をされました。1949(昭和24)年、『森の石松』の興行的失敗等で松竹首脳らが「新藤のシナリオは社会性が強くて暗い」とクレームをつけられ、自らの信念を貫くため1950(昭和25)年、松竹を退社して独立プロダクションの先駈けとなる近代映画協会を吉村、殿山泰司さんらと設立され、以後、映画一筋・・・。因みに、私が小学生になったのが、1950(昭和25)年。小学校の講堂で、新藤さんの原爆の映画を観たような、    タヨリナイデスケドの記憶があります。それから、この5月29日に満100歳で他界されるまで、映画一筋、作家としての信念と映画の商業性、    との葛藤・軋轢を超えて映画界に、不滅の業績を残されました。奥様の女優乙羽信子さんも強く印象に残っています。合唱、映画監督の新藤兼人さん、 長い闘い・情熱、ご苦労さまでした。 そして、感動有り難うございました。 尾崎紀世彦さん、凄い声量! 歌唱力!特に. ♪また逢う日まで♪ が発売されたのが1971(昭和46)年、オリコン1位、         テレビ画面を席巻しました!因みに、世は、大阪万博の翌年、私は教師3年目で、 よく、生徒の前で歌う教師デシタ。 卒業生に、よく言われるのが、 ♪虹と雪のバラード♪ ♪エーデルワイス♪懐かしい〜〜〜!もう一度、心を焦がしたい〜〜!尾崎紀世彦さんの、凄い声量、歌唱力訃報を聞いて、一つの時代がぽつんと、 消えたような寂しさです。

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