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平成の虚無僧一路の日記

田中光顕伯爵の証言 

2010年06月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



一昨年、蒲原町に残る古い洋館「五十嵐邸」で、尺八の
ミニライブを行った。そこは、元歯科医の邸宅で
「明治の元勲 田中光顕 伯爵も治療に通った」という
説明書きがあった。蒲原には非公開だが、田中伯爵
の別荘「青山荘」も現存している。

田中光顕伯爵は、土佐出身で明治に宮内大臣を務めた人。
89歳で蒲原の別荘で没したが、晩年に維新の秘史を
語り残している。その中にとんでもない証言があった。


 「私は60年来 かって一度も何人にも語らなかったことを、
 今お話し申し上げましょう。現在此の事を知っている者は、
 私の外には、西園寺公望公爵只御一人が生存していられる
 のみで、皆故人となりました」

と前置きされて、

 「実は明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。明治天皇は、
 後醍醐天皇の皇子満良親王の御孫で、大内氏を頼って
 長州へ落ち、毛利氏が長州を領有した後も、代々御守護
 申し上げて来た。これが吉田松陰以下、長州の王政復古
 維新を志した源動となった。

  吉田松陰亡き後、勤皇の志士を統率したのが桂小五郎
 である。元来長州と薩摩とは犬猿の間柄であったが、桂
 小五郎と西郷南洲とを引合せて、薩長を連合せしめたのは、
 土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎である。

  薩長連合に導いた根本の原因は、桂小五郎が西郷南洲に
 『我々は南朝の御正系をお立てして王政復古するのだ』と
 云う事を打ち明けた時に、西郷は南朝の忠臣菊池氏の子孫
 だったから、衷心より深く感銘してこれに賛同し、薩長連合
 が成功した」

なななな、なんと。

長州は、薩摩と手を組んで、孝明天皇を暗殺し、南朝の王孫を
天皇に擁立して、明治維新を成功させた。そして、西郷は、
口封じのため、西南戦争で殺された、というのだ。ジヤジャジヤーン。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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