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平成の虚無僧一路の日記

最後のゴゼ「小林ハル」さん 

2012年05月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「宴の桜」さんからコメントをいただきました。
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小林ハルさんの鉛筆肖像画とは、もしやNHK出版の
ハルさんの一代記「光を求めた105年」の表紙に
なっている絵でしょうか?
昔の芸の修行のあまりの凄まじさに、読んでいて
気分が悪くなり、最後まで読めず終いです。表紙の
インパクトも覚えております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その通りです。私は NHKの「光を求めた105年」は
読んでおりませんが、「小林ハル」さんを取材した
ドキュメンタリー番組などを 度々見ておりました。

「あまりの凄まじさに・・、気分が悪くなり・・・」と
「桜」さんも言われる通り、まさに“言語に絶する”
半生です。

「小林ハル」を演じる「一人芝居」も見ましたが、
そこでは「ハル」さんが受けた酷い仕打ちの数々を
“一人語り”するもので、社会に対する“恨み、
つらみ”の羅列で、見ていて後味のいいものでは
ありませんでした。

あんなに酷い仕打ちを受けたのに、「ハル」さんは、
人を恨むことも憎むこともせず、すべてを受け入れ、
晩年は仏のような姿になっていたように私には
思えます。見えないはずの目も、私には澄んだ
きれいな目に見えました。

「木下晋」さんの絵は「孤独な姿」「ハル」さんが
受けた「深い悲しみと苦しみ」をえぐり出していますが、
私が描くとしたら、晩年の “仏になった「ハル」さんの
顔”を描くでしょう。


厳しかった母親のことも、「盲目の身で一人で生きて
いくために、心を鬼にして 自分を躾けてくれたのだ」。
「おらの生みの親は、目の見えない子供を持って、
どんげな苦しみしたやらと ようやく分かった。
自分は母に愛されていたんだ」と。

「おらは本当に 涙がこぼれるような事があっても、
涙隠してきた。泣いてしまったら、唄になんねぇから…」

「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」

「人の上になろうと思えばまちがい。人の下に
なっていようと思えばまちがえない」

「人の言うことをなんでもハイハイときいておれば、
次に生まれてくるときは、明るい目をもらえるんだ。
たとえ虫になってもいい、目だけは、明るい目を
もらいてぇ…」


「ハル」さんの言葉を思い出すと、もう 涙が止まらない
のです。

90歳を過ぎて、“入れられた”特別養護施設でも、
「ハル」さんは 身の回りのことは 全部自分一人で
やっていて、一番手のかからない優等生だったとの
ことです。

「瞽女と鶏は 死ぬまで唄わねばなんね」これぞ
放浪芸人魂。虚無僧の私もそうありたい思っています。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

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