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平成の虚無僧一路の日記

私のピアノの先生は「酒井勝軍」の娘。 

2012年04月27日 外部ブログ記事
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酒井勝軍の「東京唱歌学校」は、高村光太郎の日記にも
出てくる。「光太郎の姉が 酒井勝軍の音楽教室に通って
いたが、姉は 音楽はサッパリだめで、絵や彫刻には
すごい才能を発揮した」と。

私も、子供の頃、絵は好きで毎日のように描いていたが、
音楽は音痴で全くダメだった。心配した母が、実家から
ピアノを取り寄せ、父の従妹にあたる「万澤智恵」さん
に、家に来てもらうことになった。

その「智恵」さんこそ「酒井勝軍」の一人娘だった。
「智慧」さんは、ピアニストの万沢氏に嫁いだ。
NHKの「のど自慢」で初代のピアニストを務めて
いた人だが、若くして亡くなった。私と同年くらいの
二人の男児がおり、時折わが家にも遊びに来ていた。

以前、このブログをきっかけに、疎遠になっていた
「万沢」氏から電話がはいり、「ステッセルのピアノ」
のことを聞いてみた。

「両側に燭台があり、相当年代もので、漆も剥げ、
ボロボロになっていて音も出ないので、引っ越す際
処分してしまった」と、ザンネン。浜松の「楽器
博物館」に同様のがいくつかあり、そこへ寄付すれば
良かったのにと悔やまれる。

さてさて、私はピアノがちっとも上達せず、それで
洋楽嫌いになり、「尺八」に転向した。

だが、子供の頃、ピアノを習っていたおかげで、
五線譜が読め、昭和40年代の「現代音楽」華やかなりし頃、
当時、五線譜で尺八を吹ける人は少なく、私にも活躍の場が
あった。それで 今 私は 尺八で食べていられるのだ。
感謝、謝謝。

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