メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

幸徳秋水と管野スガ 

2012年04月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



大杉栄と伊藤野枝が殺害されたのは、大正12年(1923)。その12年前の
明治44年(1911)、幸徳秋水と管野須賀子が殺されている。今から
100年前のことだ。この2組のカップルの罪状は、無政府主義、
社会主義、女性解放、自由恋愛。そんなことで死罪になる異様な
時代だった。

幸徳秋水らの直接の罪状は「天皇暗殺謀議」だが、オウムのように、
真剣に計画実行しようとしていたわけではない。しかし、それを
口実に、社会主義者たちが根絶やしにされたのだった。

大杉栄と伊藤野枝の関係と同じく、幸徳秋水と管野須賀子の男女
関係もすさまじい。伊藤野枝が夫「辻 潤」を捨てて大杉のもとに
走ったように、管野須賀子は、夫「荒畑寒村」が獄中にいる間に、
離縁状を送りつけて幸徳秋水のもとへ走った。大杉には妻と愛人が
いたように、幸徳秋水にも妻千代子がいた。秋水は妻と離婚して
須賀子と同棲する。

大杉は愛人「神近市子」に刺されるが、幸徳秋水と須賀子は、
荒畑寒村に命を狙われた。

このような一連の「不倫スキャンダル」は、世間の好奇と揶揄、
指弾の的になる。須賀子の前半生の男遍歴は「淫婦、姦婦」と
中傷されるほどすさまじい。

須賀子の夫だった「荒畑寒村」は、昭和56年(1981)に 93歳で
没した。瀬戸内寂聴は「寒村」にも会って取材している。
「伊藤野枝とその娘魔子」に続いて、中日新聞夕刊に「管野須賀子」
の連載が始まる。



「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ