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平成の虚無僧一路の日記

木下恵介 生誕100年 

2012年04月20日 外部ブログ記事
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「木下恵介」と「黒澤明」は、ともに昭和18年監督デビューで
同期であり、永遠のライバルだった。国内では「木下恵介」の
方が高い評価を得ていたのだが・・、国際映画祭で賞をとった
「黒澤明」の方が 有名になってしまった。

1951年、黒澤明が『羅生門』で「ヴェネツィア国際映画祭」
グランプリを受賞したのを皮切りに、溝口健二が 1952年
『西鶴一代女』、1953年『雨月物語』、1954年『山椒大夫』と、
3年連続で受賞していた。1954年は、黒澤明の『七人の侍』が
「ヴェネツィア国際映画祭」で「銀獅子賞」を受賞。
「カンヌ国際映画祭」では衣笠貞之助の『地獄門』が
グランプリを受賞している。

日本では高い評価を得、「巨匠」と言われる木下恵介だが、
『二十四の瞳』も『喜びも悲しみも幾歳月』も、冗長で
1本調子。私は好きになれなかった。

昭和34年(1959)の作品『惜春鳥』は、会津が舞台と
いうことで、会津人は歓喜して喜んだ。ところが、
会津若松で生まれ育った男女の若者たちが、すぐ抱き
合ったり 泣いたり、女々しい。当時の会津では、男女が
並んで歩くことも、公然と町中で口をきくことはなかった。
まったく会津の風土を無視した作品で、腹が立った。

昭和40年頃だったか、木下恵介が『歴史読本』に
「会津白虎隊」について「自決するなんて愚か者だ」と
いうようなことを書いていた。これを読んだ時、当時の
私は逆上し、木下恵介を殺してやりたいくらい憎んだ。

1986年「日本テレビ年末時代劇スペシャル」で放映された
『白虎隊』のテーマ曲、堀内孝雄の『愛しき日々』。
作詩は小椋佳。

「風の流れの 激しさに 告げる想いも 揺れ惑う
 かたくなまでの ひとすじの道 “愚か者”だと
 笑いますか もう少し時が ゆるやかであったなら
 雲の切れ間に 輝いて 空しい願い また浮ぶ ...」

この歌でも「愚か者」とあるのだが、この歌には泣けた。
これを聞くたびに、私は「木下恵介」を思いだす。彼も
「反戦」主義者だったかと。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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