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たかが一人、されど一人

晩年の実感 

2012年04月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

近所の廃校になっている小学校の校庭の桜が見事だ。花を見て大いに楽しめば善いとは思うが、ただ漫然と花を見てもそんなに浮かれた気分にならない。理由は分かっている。個人的な性格かも知らぬが、花見は一人でしても面白くない。花を見ながら酒を酌み交わすとか、下らぬ話をしながらそぞろ歩くとかの条件が必要だ。それでも花の下に来ると歩調がついゆっくりとなる。昨日今日は天気も良いので、青空とのコントラストが何とも素晴らしい。故郷の長野で見る桜のバックは山の緑が美しく、その中に佇むと自然の息吹に包まれる感じがあるが、都会の桜にも一定の風情がある。強いて言えば一幅の絵を見るような気分かも知れない。桜は靖国神社ではないが、亡くなった人を記念する木と聞いたことがある。一人で桜を見上げていると、古い昔の事、入学式やら両親と行った昔のお花見などを思い出し、遂には故人の思い出に繋がっていく。だから誰かが側にいないと洒落た花見にはならない。己の来し方を振り返って感傷的になるより、世の行く末を案じて警鐘を乱打すべきなのか、どっちも大したことは思い浮かばない。日常の仕事がなくなるとは恐ろしいことだ。サンデー毎日がこれからもずっと続くとすれば、ブログを書き続けるにしても何か考える必要がある。朝になってから今日何をすべきか考えるのは成程つらい。仕方なしに花見にかこつけて、護国寺の鳩山御殿を思い出した。確か昨年は自粛ムードで取りやめになっていた筈だが、今年もやはり取り止めだろう。いっそ政治家を引退していれば、敵も味方もないだろうから液状化民主党議員をごちゃまぜにして集めれば、少しは男を上げたろうに。未だに議員バッジをつけて、中国やらイランに行っている。しかも大顰蹙を買いながらのことだ。お金に不自由のない環境で年も年なんだから、少しは人に褒められることをしたらどうかと思うが、政治家の考えることは分からない。しれっとして居座る方も立派と言えば立派だが、それを許す与党の組織と現在の責任者の神経はどうなっているのだろう。法律で議員の定年や総理経験者は辞職すべきとの退職規定でも決めてほしいものだ。

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