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平成の虚無僧一路の日記

「女虚無僧」はいたのか 

2012年02月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



天明6年(1786)大坂で初演された『彦山権現誓助剣
(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』は、女が
虚無僧に扮して仇を探すという「女虚無僧」の登場。

これ以外にも「女虚無僧」の話はいくつかある。

それで、浮世絵や大津絵でも「女虚無僧」は 結構
描かれているが、実際に「女虚無僧」がいたのかは
謎なのだ。

「虚無僧寺」としては、『家康公のお墨付』で
「虚無僧は“士分の者”に限る」と規定しているから、
女性に「虚無僧の三具」を与えることはできない。

だが、『お墨付』で「尺八は 虚無僧以外吹くべからず」
と規定しているにもかかわらず、実際には、大名、旗本
はじめ、一般の侍や 庶民、遊女なども尺八を吹いていた。
遊女が尺八、箏、三絃の合奏をしている浮世絵もある。

正規の免許を持たずに、勝手に天蓋や袈裟を自前で作って、
尺八も自己流で覚えて、門付けして廻る「偽(にせ)虚無僧」も
結構いたようだ。幕府は「一月寺、鈴法寺」に、再三
「偽虚無僧」の取締りを命じている。

「女虚無僧」がいたとしたら、その「偽虚無僧」だ。
天蓋で顔を隠せるので、逃亡するか 仇を探すには
一番良い格好だ。だが、「一曲所望」されて 尺八を
吹けないと、「偽虚無僧」として 身ぐるみ全部はがされ、
指を折られる。そんなスリルと なまめかしさが、
小説や芝居の格好の題材となったのであろう。

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