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平成の虚無僧一路の日記

歌舞伎に登場する「虚無僧」 

2012年02月28日 外部ブログ記事
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歌舞伎十八番の『助六』は、正徳3年 (1713)山村座で初演。
助六は、黒の着流し、高下駄、腰に尺八を差し、虚無僧を
イメージさせているが、天蓋は被っていない。1700年代の
初期はまだ天蓋は無かったのか?

はっきりと 虚無僧が登場するのは、『仮名手本忠臣蔵』。
人形浄瑠璃としての初演は寛延元年(1748年)。江戸では
翌 寛延2年(1749年)森田座で初演されている。
「加古川本蔵」が「虚無僧」となって山科の閑居を訪れる。

上演の時、虚無僧の「天蓋」を勝手に使うことはできず、
虚無僧本寺の「一月寺・鈴法寺」に、なにがしかの金品を
納めて借り受けたという。1748年には「天蓋」が存在して
いたようだ。

『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』は、
女が虚無僧に扮して仇を探すという「女虚無僧」の登場。
顔を隠すに都合がよいように、顎まで隠れる深い「天蓋」。
天明6年(1786)大坂で初演。

浮世絵や大津絵に「女虚無僧」は 結構 描かれているが、
歌舞伎や小説の中だけの創話と思われる。実際に女虚無僧が
いたとは思えない。

勝手に天蓋や尺八、袈裟などの虚無僧用具は作れないから、
女ひとり虚無僧寺にはいって、いかがわしき虚無僧に混じって
尺八を習い、托鉢の免許を得ることなどできなかったであろう。

正徳5年(1715年)、二代目市川團十郎が、中村座で『坂東
一寿曾我(ばんどういちことぶきそが)』で、曾我五郎を
演じた時、その中で "虚無僧"に扮した場面があり、これが
大当たりしたという。

翌年(1716)、中村座の『式例寿曾我(しきれいことぶき)』では、
曾我の世界に助六がとりこまれ、助六=曾我五郎という設定が
生まれた。そして、その扮装は現行に近い天蓋、尺八、黒の着付
といったものになっていた。これが 江戸中に「虚無僧姿」を
決定づけたものとなったという。

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