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平成の虚無僧一路の日記

「ふける」は「普化禅師」の故事からか? 

2012年02月20日 外部ブログ記事
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「普化禅師」は、臨済宗の祖「臨済」について書かれた
『臨済録』に、「臨済」の相棒として登場してくる。

一風変わった乞食坊主で,いつも裸で市中を徘徊し、
ただ鈴(鐸)を鳴らして「明頭来明頭打、暗頭来
暗頭打」とだけ唱えていた。

臨済と普化の師である「盤山」が、弟子たちに自分の
「頂相(ちんそう、ちょうそう)=似顔絵」を描かせた。
禅宗では、師の似顔絵を描くことで、どれだけ師の
学びを受け止め得たかの判定がなされる。

弟子たちが 師の「頂相」を描いて 提出すると、
盤山禅師は その者たちを 棒で 打った。

最後に「普化、お前はどうだ」と禅師が言うと、
普化は、「師の姿を描き得たり」とは言ったが、
絵を見せず、筋斗(きんと=とんぼ返り)を打って
出て行ってしまった。すると盤山禅師は言った。

「この漢、風狂の如くにして人を導くだろう」と。

この普化の「とんぼ返りして出ていった話」から
「ふける」という言葉が生まれたのだろうと、私は
考えている。

だが、普化の有名な話は、その最期の様子だ。

「普化は『ワシは死んでやる、死ぬ、死ぬ』と言って
自ら棺にはいり、蓋を閉めた。その後 民衆が蓋を
開けてみたら、中は空っぽで、一条の煙が天に昇り、
空中からは妙なる鈴の音が聞こえてきた」というもの。

これは「全身脱己」(「全身抱っこ」じゃありません)。
悩みも苦しみも煩悩をすべて取り去った「涅槃の境地」に
達したことを象徴的に表したもの。

この「煙となって消えた」という故事から「ふける」と
いう言葉ができたという人もいるが、ちょっとニュアンスが
違うように思う。「ふける」には「逃げる」という
意味が含まれる。「世の中から逃避して自殺」と
解するのか? 

この『臨済録』は一般人の目に触れるものではなし、
「普化」の行状が、一般人に知れ渡っていたとも
思えない。となると・・・・・やはり。

「虚無僧」は、世の中から隠遁しているような存在だ。
世間から逃避して「普化僧となる」がやはり「フケル」の
語源か。

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