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平成の虚無僧一路の日記

平井(白井)権八 

2012年02月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



子供の頃よく遊んだ目黒不動の傍らに 虚無僧寺の
「東昌寺」があったとは知らなかった。でも 見えない
糸で引かれていたのかとも思う。

「平井権八」の「ひらい」が 江戸弁では「しらい」と
発音されるので、歌舞伎では「白井権八」になったとか。

「鈴が森の段」で「白井権八」が雲助どもを切り殺し、
「キジも鳴かずば切られまじ…」と言い捨てて立ち去ろう
とすると、一部始終を見ていた「幡随院長兵衛」に
呼び止められる場面の名セリフ。

「お若ぇの お待ちなせえやし」「待てとおとどめなされしは
拙者がことでござるかな」などは、歌舞伎を観たことが
なくとも、子供の頃から知っていた。

「白井権八」と「幡随院長兵衛」は 時代も異なり、
二人の話はすべてフィクションだそうで、さまざまに
尾ひれがついて脚色されていく。

「平井権八」すら 実在したかは疑わしいそうな。
「平井権八」が改心して虚無僧になり、故郷の鳥取まで
帰ったという話もあれば、咎人(とがにん)であり、
虚無僧寺といえども、入れてもらえず、自首して
獄門になったという話もある。

辻斬り強盗の「平井権八」だが、「美剣士」として
ヒーローにしてしまう日本人の感性が面白い。

この「白井権八」の歌舞伎のおかげで、「虚無僧になれば、
人殺しの罪も許される」というような まやかしが広まって
いるようだが、現実には不可だった。

「仙石騒動」で「神谷転(うたた)」が虚無僧寺に逃げ込んだが
南町奉行所の役人に捕らえられる。「虚無僧本寺」を自称する
「一月寺」が「虚無僧寺は寺社奉行の管轄」と抗議するが、
「虚無僧寺」は「寺」としても 認められていなかったのだ。

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