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平成の虚無僧一路の日記

父の遺品「日の丸」の揮毫 

2012年02月05日 外部ブログ記事
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父は 軍隊の時の資料を後生大事に保管していた。
その中に、出征の時「寄せ書き」をしてもらった
「日の丸」の旗が4枚ある。

?慶応の「福沢先生研究会」会員一同
?「東京電灯・浅草営業所」の社員一同

父は昭和16年4月に慶応を卒業して東京電灯(現・東電)
に就職。その年の8月に 出身地の会津若松65連隊に入営した。

そして、
?会津出身の「陸軍大将・柴 五郎」
?海軍大将「鈴木貫太郎」、
 宮中顧問官・海軍中将「川島令次郎」
 陸軍大将男爵「奈良武次」
 陸軍大将「鈴木孝雄」
 陸軍中将「井上一次」の連名

「鈴木貫太郎」は終戦時の首相だ。昭和16年当時は退役軍人で
「 枢密院副議長」だった。

「川島令次郎」は、1913年海軍中将となり、旅順要港部司令官、
将官会議議員などを勤め、1929(S4)年9月退役した。

「奈良武次」は、東宮武官長、侍従武官長を歴任。1924年(大正13年)
陸軍大将、1933年(昭和8年)男爵となり後備役に編入、1939年
(昭和14年)3月に退役した。

「鈴木孝雄」は、1935(S10)年後備役。1938(S13)年靖国神社宮司。
「井上一次」は、1923(T12)年陸軍中将。1927(S2)年予備役編入。
1940(S15)年退役。

というわけで、柴五郎他5人、みな昭和16年当時は「退役軍人」
だった。一兵卒で入営した父のために、6人もの中将、大将が
「祈、武運長久」の「日の丸」に揮毫しているのだ。誰が
どのようなツテで揮毫を求めたのだろうか。

ひとつのルートは父の叔母が「酒井勝軍」に嫁いでいる。
日露戦争にロシア語の通訳として従軍し、児玉源太郎から
ロシアの分捕り品のピアノをもらっている。だが、酒井勝軍は
1940(S15)年7月6日に亡くなっている。父が入営する1年前だ。

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