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作品名 アカンタレの話(42) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(42)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/02/06 09:46:06

+++「アカンタレ」という苦い思いと悔恨が、終生
私を酷く苦しめる事になったろう。そんな地獄から逃
れられたと思うと、ほっとすると同時に、それまでの
執念に満ちた人生の大半がまるで気違いじみたプロセ
スだった、と思ってしまう。

42/50.目標と反動

 念願を達成したのだから、お前は舞い上がる程嬉し
かったろう、と思われるかも知れないが、実際はやや
違う。無論嬉しくない事はなかったが、不思議なの
は「社長になった」途端にまるでつき物が落ちたよ
うに、ユルンデしまった。

 目的を見失ったと言えるかもしれない。五十近くま
で苦しめられたのは、「社長になる」という束縛と脅
迫観念であったと先に書いたけれども、実はそれが人
生の揺るぎない目標・目的になっていたのだとも言
える。

 ここで一歩引いて考えてみる。
 それにしてもーーー人生の目標とは一体何だろ
う? 人は気軽に「目標を持て」と口にし勝ちで、他
人にそう言い、自分にも課そうとする。だから、人生
に「目標を持つ」のは良い事のようだし、持つのは格
好よく見えるから、誰でも持たないといけないのだろ
うか? 持たない人は肩身が狭そうだ。

 けれどもこんな風に考えられないか:私の例から判
るように、「目標を持つ」とは一種の精神を病むよう
な苦しい強迫観念だと分かる。達成し難いからこそ目
標なのだ。それは文字通り「苦悩」であったから、苦
悩する位なら、目標など無かった方が人として幸せだ
ったのではあるまいか? 

 例えば恐らくどの宗教でも、「人を憎まず」・「愛
を万人に」・「物事に拘らない」・「全てを受け入れ
る安らかな心」こそ、幸せの道であると教える。その
証拠に、人の臨終の間際には決まって、「どうぞ、安
らかに眠り給え」と呪文を掛けるではないか! 

 だからまさか、こんな風には教えまい:「生きる上
で小ニの恨みと屈辱を忘れず・それによって打ち立て
た仕返しの目標に生涯執着し・目標達成に強迫観念を
持ち続けなさい」と。これでは少しも「心が安らかで
ない」からだ。

 人は幸せになる為に生きている。そうであるならー
ーーウフフ、私の得た結論は幸せとは「人生に目標な
ど決して持たない事」と言えそうだ。これが、「社長
になる」の目標を達成した為に、私が得た一つの反動
であった。
(つづく)

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